最近、朝起きても暑くてジョギングができない。日課になりかけていたのになあ。無理せず、涼しくなってから外に出ようか。
夜のウォーキング中に私の朗読(第一回目の「寒い季節のはじまりを信じてみよう」)を聞いてくれた方が、こんな感想をくれた。
夜、ウォーキングをしながら聞きました。 いつものウォーキングコースがちょうど暗渠の上にあります。凍った川のことを思い出したり、車がたくさん走る道路が大きな川に見えたりそこを馬で渡る想像をしたり蒸し暑い夜に夏の心で冬を想像するのはとてもおもしろかったです。苦しみとの付き合い方みたいな内容もすんなり受け止めれたような気がします。
歩きながら聞く朗読は自分一人で読みすすめなきゃいけない読書とは全く違う経験なんですね。ゆっくりとぼとぼ歩くスピードに山田さんの声が付かず離れず付き合ってくれたような感じがしました。
自分の好きなタイミングで聴けるのでスマホで聴ける形式とお声がとてもあっていたように思います。みなさんがどんなシチュエーションで聴いているのか気になってきました。
「いつかどこかにいる誰かに届いたら」と思ってやっているわけだけど、やはり今を生きている誰かの感想はとても嬉しいし、励みになります。ありがとうございます。
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第4夜目は、『じっとしている唄』(小栗康平著/白水社/2015年12月5日発行)より、「ミツマタ」「ガマガエル」「雨の音」という三つの短いエッセイを読みました。
小栗康平さんの文章を声に出していると、なぜか「どこにも行かなくていい」と言われている気がする。こんなにみんなが「どこか」へ行こうとして、「何か」になろうとしている世界の中で、時間が止まっているような不思議な感じになりました。 どうしたら、こんなふうに世界をゆったりと見ることができるのだろう。