2023年4月18日火曜日

amor fati

最近、本をめくっていたら、「アモール・ファティ(amor fati)」という言葉に出会った。そこには、こんなふうに書いてあった。

「ニーチェにアモール・ファテイ(運命愛)という重要な観念があります。自分の運命を愛したまえ、それが自分の人生なんだ、ということですね。ニーチェが言うには、もし君が、君の人生のうちのたったひとつの要素でも否定するなら、全部をバラバラにしてしまうことになる。(中略)君は悪魔を飲み込むことによって、その力を自分のものにする。人生の苦しみの大きさに応じて、人生そのものも大きくなる。」 

なんだか勇気をもらった。 

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映画のコラム「山田真歩のやっほー!シネマ」第23回目が公開された。 

今回は、自分の人生のある時期に体験したことを見つめ、抱きしめるつもりで書いた。また、真剣に誰かとつながろうとすることを怖がっているうちに、軌道を離れすぎてしまった星のことを思いながら書いた。 

今回も朗読つき。私の声に音楽を添えてくれたのは、てんこまつりさん。彼女は、「もっと混沌とした音になりそうだったけど、ひと回りして祈りの場の音になりました」とメッセージをくれた。

いつも描いている四コマ漫画はなぜか浮かばず、三枚の挿絵を添えることにした。 一枚目の海の絵は、友人でもある画家の片山高志くんの絵からインスピレーションをもらった。私が初めて買った絵で、今も部屋の窓際に飾ってる。

 

自分にとっては、本もそうだけど、映画も出会うタイミングがとても大切だと感じる。「今じゃないかも」と思ったら誰かにオススメされても無理に観ない。でも、気になっているものは心の片隅に残っていて、「今かも」と波長が合うときが不思議とくる。忘れがたい作品とは、そんなふうにして出会ってきた気がする。 

いま、じゃなくてもいい。 

いつか、どこかにいるあなたへ届きますように。

      ↓   

「足下を流れる見えない水」 


(※ podcast版では私の編集担当の川口ミリさんからの”声のあとがき”も聞けます。)

2023年4月12日水曜日

喜多村みか写真展に寄せて


私だけしかこれを知らない。 

私だけが今この瞬間を感じている。そう感じることがある。

多くの人が見向きもせずに通り過ぎて行ったもの。数字や言葉が捉えそこねるもの。不特定多数の人に向けられた笑顔ではない、ごく親しい誰かに向けられた一瞬の微笑み。大勢の人に伝えるキャッチコピーではない、日記に書きつけたような誰に見せる宛もない個人的な文章。 

そんな、人に伝えるのが難しくて言葉にならないものたち。一人で部屋にいるときに、ふと差し込んでくる午後の光のような。そんな瞬間や存在をいつも愛おしいと思う。

みかちゃんの写真を見る。そこには彼女が日々の中で大切にしたものや忘れ難い瞬間が閉じこめられている。それは彼女だけの記憶の断片かもしれない。でも、その前に立つと、いつの間にか私もその世界に含まれている。柔らかく、音もなく。

写真は窓なんだ、と思った。そしてその窓は閉じられていなくて、いつでも入って行くことができる。彼女の写真は、私を再び静かな気持ちにしてくれる。この世界で虚しくなる必要なんてないのだ、と思える。 


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この文章は、「午後の光のようなもの」 という題名で、私の友人・喜多村みかさんの写真集『TOPOS』(2019年)に寄せて書いたもの。

彼女がこの春、個展を開く。私は写真のことはよくわからないけど、彼女の撮る写真はどれも素敵だと思う。

いろんな人に見てもらいたい。興味のある方はぜひ。

詳細です↓

2023年4月21日[金]- 5月14日[日]

[火曜-土曜]12:00-19:30[日曜]12:00-17:00 月曜定休/入場無料  

Kanzan Gallery