2021年12月13日月曜日

野生はダウンロードできない


朝、偶然つけたラジオから流れて来た話が面白かった。
「冒険というのはシステムの外に飛び出すこと」という探検家・角幡唯介さんの話。


二ヵ月ほど前に、ノートに勢いで書きつけた文章。
いつの間にかパソコンに日記を書くようになっていたけど、この日からまた手書きでノートに書くようになった。

10月22日 雨

野生をとり戻さなければ。いつの間にかパソコンやアプリや“検索”に巻き込まれて、その中でどんどん小さくなっていっていたかもしれない。
「Don't search!! Feel!!」が合い言葉だったじゃないか? 一日のうち、どれだけの言葉を“検索”しているだろう? どれだけの時間をスマホに使っているだろう? 今、あやうく「野生をとり戻す方法」と検索しそうになった自分に気づいて愕然とした。

まず手書きの日記に戻そう。カレンダーもメモ帳も手書きに戻してみよう。それだけでずいぶんスマホに手を伸ばす回数が減るだろう。スマホはシンプルに電話とメールだけの役割に戻すこと。気づくとアプリが増え、なんだか何でもできるすごい奴に思えて来るけど、それは決して私自身がレベルアップするわけじゃない。野生はダウンロードできないし、自信はアプリで売ってない。
放っておくとどんどん内面的になって、あの小さな画面に依存してしまう。あんなに嫌いだったLINEだって仕事で使っている。ガラケーをまっ二つにへし折っていた時代がなつかしい。あの頃は、まだ私の中の野生の方が主人公だった。
今、スマホを捨てることができないなら、自分で主従関係をハッキリ自覚するしかない。「お前は電話だよ。他のことはやんなくて大丈夫だからね」と、気づいたときに言い聞かせなければ。そして自分の身体を使うこと。

野生に主導権を! 
内面的すぎる自分よさらば!!
(これは私のせいじゃない)


🌱寝たねちゃん本日のつぶやき。

"I'm gonna sprout!"
"I'm gonna pop out my eyes...."

2021年11月10日水曜日

読書の秋です


最近、図書館で借りて読んだ二冊の本がとても面白くて静かな興奮がつづいている。
『われらの獲物は一滴の光』(高梨豊 著)
『出来事と写真』(畠山直哉・大竹昭子 著)
どちらも写真家が書いた本。
いいなと思った所をノートに書き写していったら、ほとんど書き写してしまった。ちょうどきれいな落ち葉が落ちていて「あれもこれも」と拾っていたらポケットからあふれてしまったみたいな感じ。
右手が疲れた…。 


🍂

雑誌「POPEYE」12月号の「本と映画のはなし。」でインタビューを受けました。
いろんな人が好きな本と映画を二作品ずつ選んで語るというシリーズらしく、私はここ最近出会った作品のことをお話してきました。ライターの井出幸亮さんが、まとまらない私の話をとても上手にまとめてくれていて感動しました。
見かけたら手に取ってみてください。


🍁

寝たねちゃん今日のつぶやき。


「秋ですね。」 
"It's autumn."


2021年9月17日金曜日

もう秋です

最近、外に出ると秋の匂いがして嬉しい。また好きな季節が来た。

近所の神社を散歩してたら、新しい行灯が増えていて笑った。

海老のように生きている人に会ってみたい。
余白に込めた想い。



PINTSCOPE の連載コラム「やっほー! シネマ」が更新されました。

どこかにいるあなたに届きますように。

 ↓  ↓  ↓

第19回目「袋の男とボナセーラ」




2021年7月24日土曜日

最近のこと


紫陽花ももう終わり。

ある方に勧められて、戦没画学生の作品を集めた「無言館展」を見に郡山美術館へ。絵と向き合いながら、沢山のことを感じた。

この間、散歩中にかわいい行灯を見つけた。

夜に行ってみたら明かりが灯っていた。どれもかわいい。

そして今年の夏も、友人宅で猫と留守番。


2021年6月17日木曜日

maho iroiro


インスタグラムを始めたのだけど、まだ使い方がよくわからない。この間はハッシュタグ#の存在を知って興奮した。妹からは「役者が自分の顔を載せないのは、画家が自分の絵を載せないのと同じだよ」とアドバイスされた。そうかもしれない。まあ、いろいろなものを載せてみようと思う。

maho_iroiro

↑ここに「一輪挿し」シリーズ(いろんな草花の歌)を、ぽつぽつ載せていきたい。Instagram は一分以内の音源なら載せられるという。どの曲もとても短いのでちょうどいい。

ただ、「紅椿」だけは一分を超えてしまった。前奏がとても素敵なのだけど、ザンネン。



追記 🌼

斉藤友秋さんの送ってくれる歌声とギターのデモが素敵なので、いつか公開したい。その歌声はまるで、水の中をたゆたっている糸くずのよう(または肩の力を抜いて自由に描いたくずし文字みたい)で、とても真似できない。
私が自分で歌うのが恥ずかしくてモジモジしていると、「上手か下手かは問題じゃないんだよ」と斉藤さんは言った。

斉藤友秋さんが note にこんなことを書いてくれた。嬉しい。
この創作の中での収穫は、道を歩いていて植物を意識するようになったことだ。草花は見れば見るほど面白く、不思議な存在だ。どうしてこんな姿になったの?と心で問いかけると、そういうあなたは?と返される。

 

2021年6月15日火曜日

一輪挿し


「夢覚めて まだ夢見てる 紅椿」

「おわりもはじまりもないふきのとう」

これは、私が日常のなかで見かけた草花の一行詩です。
この一行の詩を音楽家の斉藤友秋さんに送って、そこからイメージして自由に作曲してもらうという「一輪挿し」シリーズを制作中です。ぽつり、ぽつりと、いろんな草花の短い歌が出来つつあります。お楽しみに。

       

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2021年5月21日金曜日

梅雨です

最近、シーモア・バーンスタインさんというピアニストのアルバムをよく聴いている。どの曲も素敵なのだけど、とくに好きなのは二曲目の「子守歌」というショパンの曲。こんなに美しくて優しい曲があるんだと思った。

つわりで寝込んでいる友人にこの曲を送ると、こんなメールが返ってきた。 

「子守歌、いいね。なんか、今日少し気持ち悪かったんだけど、つけてたテレビを消して、ずっとピアノの音聴いてた。 」

Berceuse Op. 57 Lullaby 


久しぶりに映画のコラム「やっほー!シネマ」が更新されました。どこかの誰かに届きますように。 

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第18回「空洞に満ちたもの」


2021年3月13日土曜日

不思議な“つぶ”のこと その③


することがなく、空白の時間ができると、人は普段考えないことを考えるのかもしれない。一年前、未知のウィルスに怯えながらも、私がぼんやりと考えていたのはこんなことだった。

(植物や種の目線からこの世界を見たら、どんなふうに見えるんだろう……)

(人間中心のものの見方から自由になって、もっとおおらかに、もっと長い目で、この地球のこと、生きていくということを捉えてみたいなあ……)

そんなある日、「一緒にアニメーションをつくりませんか?」と声をかけてくれた人達がいた。自粛期間中にできることをみんな試行錯誤している頃だった。

私はこのナイスタイミングに喜び、「植物の種を主人公にしてみたいです」と思い切って提案してみた。最初は「種、ですか…?」と皆頭の中にクエスチョンマークが浮かんでいた(と思う)けれど、さまざまな種たちのユニークな写真集を見せたり話をしていくうちに、「ワクワクしますね。やってみましょう!」と話が盛り上がった。

そこから、いろんな種探しがはじまり……

いろんな種キャラクターのアイデアが出ては消え……

さらに一年近くが経ち……

ようやっと、ささやかな種キャラクターが一つ誕生した。

その名も、「寝たねちゃん」

私に「一緒に何か作りましょう」と声をかけてくれた人がいて、いろんなアイデアを出し合ってくれた人がいて、絵に可愛らしい動きをつけてくれた人がいてくれて、誕生できました。

ゆっくり育って行きますように。


2021年3月11日木曜日

3月11日

今朝は、ラジオ深夜便「明日へのことば」を聞いていて目がさめた。

10年前、福島の原発で働いていた吉川さんという男性のお話だった。「この地で起きたことが、社会を豊かにすることにつながらなければいけないと思う」という声が印象に残った。

「明日へのことば」(加害者と被害者の二重苦を越えて)

このラジオ、まだ暗い夜明け前に一人で耳を傾けていると、私にとって、真っ暗な海の中でぼんやりと光る灯台のような存在に思える。

最後はいつも誕生花が紹介されるのだけど、今日は涙が出た。  

良い一日にしようと思った。

追記

次の日のラジオ深夜便「明日へのことば」も聴いた。震災の津波で三人のお子さんを亡くした男性のお話。胸に来るものがあった。

「明日へのことば」(「死んでも いい」から「精一杯 生きる」へ)

2021年3月9日火曜日

不思議な“つぶ”のこと その②


そんなわけで、私はやることもなく毎日散歩していた。

一年前のちょうどいまごろ、あちこちで椿がきれいに咲いていた。真っ赤な椿の花が木の根元のところにボタボタとたくさん落ちて、遠くから見ると赤い色が鏡写しのようになっていた。

ものは壊れ、

ひとは死ぬ。

でも、

土に落ちた花びらは肥料になり、

土に落ちた種たちは発芽の準備をする。

こんなふうに・・・







・・・終わりがない。

すごいなあ、不思議だなあ。

歩きながら、そんなことを考えていた。

私は散歩の途中に街の画材屋に寄り、好きな色の色鉛筆を何本かと、スケッチブックを二冊買った。色鉛筆なんて買ったのはいつぶりだろうか、思い出せない。

その時期に描き始めた草花は、日々をつづったコラムの間に押し花のように入れてもらった。



2021年3月3日水曜日

不思議な“つぶ”のこと その①


去年の今頃、私は毎日、植物の種や花の図鑑をながめて過ごしていた。

人にも会えず、仕事がなくて暇だったというのもあるけど、植物に触れたり見たりしていると不思議と心が穏やかになるからだった。

『世界で一番美しい種子図鑑』をめくると、「こんなに美しい色と形の種があるんだ……でも、なぜ?」と興奮と同時に謎が深まった。 

● 藤原辰史さんの「植物考」を読むと、勝手に決め込んでいた植物へのイメージがどんどん変わっていった。 

●「クソでもいいから植えろ」と語りかけるロサンゼルスの園芸家の話を聞いて、「身近なところから始めれば良いんだ!」と勇気をもらえた。

どんなに大きな樹も、最初はほんの小さな“つぶ”だった。

人は土に埋めても芽を出さないけど、植物の種は土に埋めれば芽を出す。

知れば知るほど、この身近で不思議な“つぶ(種)”に魅了されていった。

わたしは植物図鑑を閉じ、実際にこの“つぶ”を埋めてみることにした。 

が、なかなか難しい……。撒けばすぐ出る!というものでもないらしい(ハスの種なんて2千年も発芽しないものもあるという) 。

たくさん撒いたコスモスの種は芽が柔らかくておいしいのか、ほとんどが虫に食われてしまい、一輪だけ生き残ったものが小さなピンク色の花を咲かせた。 

神社の境内で拾ってきた菩提樹の種も、アボカドを食べて残った種も、いまだに芽を出さない。いつか忘れたころ出てくるだろうか。

菩提樹のタネ

たくさんの種たちをスケッチ。

2021年1月14日木曜日

『ナイルパーチの女子会』

役者の仕事を始めてちょうど10年になった。

そんな節目の年に、この作品とこの役に出会えてよかったと思う。20代後半から30代を不器用に生きてきたこれまでの自分に捧げるつもりで演じた。最小限の、でも最良のメンバーと共につくれた日々に感謝。

『ナイルパーチの女子会』は1月30日からBSテレ東で放送が始まります。原作もとても面白いですが、ドラマもぜひご覧ください。🐟🐠


水川あさみさんが送ってきてくれた写真。

撮影の日々によく聴いていたFKJの曲。音楽好きの友人が教えてくれた。






2021年1月2日土曜日

二〇二一年一月

一日

実家にて。Tさんから送られてきていた俳句の月刊誌「雲」の11月号から1月号までを読む。7年前に亡くなった旦那さんの句集『てっぺんかけたか』も。以前はわからなかった句も、何年か経って読むとパッと情景が広がったりして楽しい。難しい漢字は辞書を引きながら読む。

あとがきに、「歩いて俳句。歩いているうちに思いがけない出会いがある。自然との、人との出会いを大切にしたい」とあった。俳句を詠む人たちにとっては、目に映るもの、世界のすべてが季語に見えるのかもしれない。

川沿いを高幡不動尊まで散歩。土手から富士山がきれいに見えた。お正月はなぜかいつも雲一つない空。大学生のときよく通った「あんずむら」でカフェ・オレを飲む。


ニ日

もうだいぶ忘れてしまったけれどこんな夢を見た。求婚者を断りつづける。彼らはカッコいい車に乗っていた。そのあと、ピアノをとても美しく弾く女性と恋に落ちたような気がする。今年の初夢。

本棚にあった『詩という仕事について』(ボルヘス著)をめくっていたら、面白くてそのまま最後まで読んでしまった。タイトルに惹かれて何年も前に買ったのだけれど、その時は内容がよくわからなかったので本棚にしまって置いた。今読むとすごく腑に落ちる。

意味ではなく、音楽のように言葉を発するということ。

芸術や詩はどこかに永久保存してあるものではなく、それを感受できる人間が触れたときにはじめて、その両者の間に発生するものだということ。