2020年7月4日土曜日

お守りのようなもの


本の好きな友人が、小さなブックレットを送ってくれた。『中くらいの友だち』というタイトルの小冊子で、表紙には「〈緊急特集〉韓国コロナ19」とある。
付箋のあったページをめくると、パク・ミンギュという小説家のエッセイが載っていた。何気なく読み始めたけれど、あっという間に引き込まれた。読んでいる間中、ひからびていた地面に水がしみ込んでいくみたいな気持ちになった。そして読み終えたとき、「そうだ、私はこういうことを感じていたんだ」と思った。

コロナウィルスのことが騒がれ始めてから心の奥で思っていたけれど、なんとなく口にできずにいたことがあった。
それは「地球にとっては私たち人間がウイルスなのかもしれない」ということだった。私たちのあらゆる種類の欲望のために、見えないところできれいな水が汚染され、遠くで森林が蝕まれ、ずいぶん多くの動物が静かに殺害されてきたと思う。今、見ずにきたものが目に見える形で、「ほら、あなたたちがやってきたのはこういうことだよ」と、逆に鏡を向けられているような気がしていた。
パク・ミンギュさんが書いてくれたこの短いエッセイを読んでいて、そんなふうに感じるのは私だけじゃないんだ、と嬉しくなった。
一部を抜粋してノートに映した。「我々はもう少し大人にならなくてはならない」という言葉にもドキッとした。これから私のお守りにしたい。いい文章って、お守りなんだなと思った。



『中くらいの友だち』の裏表紙にはこんな言葉が書いてあった。
表紙絵のことば
トクサルとは、朝鮮時代に多く作られた、節季に作るお餅やお菓子に文様をつけるための陶器の押し型です。今号は花文の中の桔梗文。桔梗の根は薬草としても重宝され、「止咳、去痰、のどの痛み、解熱」などに効果があるようです。
現在コロナで大変な世の中ですが、この桔梗文の『中くらいの友だち』がお守りになれば良いのですが。