2018年6月30日土曜日

最近のことなど


吉祥寺美術館で、江上茂雄さんという画家の絵を見た。
「風景日記」という展示のタイトルの通り、正月と台風を除く毎日、自宅から歩いて外に出かけ、一日一枚の絵を仕上げたという。何枚も「同じ風景」が出て来るけれど、一つとして同じ印象のものがない。
江上さんのメモより。
「一喜一憂せず、一生懸命やろうと決めてから、だいたい風景を描きました。風景だけが優しかった。自然は誰にでも同じ姿を見せてくれる」
「絵の修行の上で、非常に良かったことというのは、一定の時間、ひとつのことに集中するという、もう絶対そこから外れない、それの練習になったと思います」
こんな人がいたんだ。




「午後の光」の稽古が始まっている。
太田省吾さんの台詞は一見シンプルなのだけど、その奥に何重もの地層が重なっていて、やるたびに化石の欠片が発見されていく。「同じ言葉」なのに何でだろうと不思議。
この作品を毎年お盆の時期にできたらいいな、とちょっと思っている。だんだん年をとっていけば、見える風景も変わってくるだろうし、おのずと作品も変わった印象として立ち上がるだろう。今年の夏は、とにかくいまの自分たちが出来ることを精一杯やりたい。





もうPHSは製造もやめるし利用もできなくなりますという葉書が届いた。えー。このシンプルな電話だけができる電話、せっかく愛着が湧いていたのになあ。というわけで再びスマートフォンになった。やはり便利ですごいねと思う。と同時に「そんなにいろいろ気を使ってもらわなくていいんだけど」と肩をポンと叩きたくなる時もある。うまく付き合っていきたい。



2018年6月13日水曜日

私にとっての「楽しくもあり」


朝、公園を散歩しながら、引き続き「楽しくもあり、楽しくもなし」という言葉について考えていた。
私が「楽しくもなし」と思うときは、こんなふうに自分は世界を見たくないという価値観を無理やり押しつけられるとき。それはとても狭い見方で、一面的で、人や物事を枠にはめないと気がすまない。本当にそうか? もっと世界は豊かなはずだし、もっと多面的で面白いはずではないか? と思う。

じゃあ自分にとっての「楽しくもあり」はどんなことなんだろうと思う。自分の物の見方を変えてくれるものが好きだ。
昔からためている「こういうことがしたいフォルダ」をのぞいてみたら、そのほとんどがダンスだったのは興味深い。


たとえば①
会議は踊る? こんな国会中継があったら喜んで見たい。


たとえば②
こんなふうに「言葉」をしゃべることも出来るのだね。誰かと喧嘩したいとき、これからこんなふうにしてみよう。相手を傷つけることもない。


やっぱり踊ると気持ちがいい。見るのも好きだし。小さい頃からそうだった。
こういうことがやってみたい。

たとえば③
手話のような踊り。踊りのような手話。素敵で繰り返し観てしまう。



こういうもので世界が溢れますように。

2018年6月5日火曜日

午後の光レッスン


「通り過ぎるのを待つの。通り過ごしてしまえば、なあんだってことになるわ」
きのう、銭湯に入りながらそうつぶやいた。
これは『午後の光』で妻が長年連れ添った夫に言う台詞だ。はじめは謎の台詞が多い戯曲だと思っていたけれど、日常のふとした瞬間に、その中の台詞たちが100パーセントの実感をともなって私の中にひゅうんと落っこちてくる。そうかそうか、こういう気持ちのときこんな台詞が出てくるんだ。
太田省吾さんが『舞台の水』の前書きでこんなようなことを言っていた。
真実の「真」は取捨選択の世界。よりよきもの、高尚なものに向かって削ぎ落としていく。一方、真実の「実」はオールOKの世界。くだらんものも、退屈なものも、なんでもかんでもある。ただそこに居るのだと。
そうかそうか、そうなのか。じゃあ「真」も「実」も、おいでおいでと同じ力で私をひっぱるとしたらどうしたらいいんだろうか。そこまで考えていたら、冒頭の台詞がこぼれ出して来た。

「楽しくもあり楽しくもなし」というこのブログのタイトルは、大学時代につけた。最初はなんだかどっちつかずで適当なタイトルだな思ったけれど、名は体を表すとはいったもので、だんだんこれが自分の人生のテーマなんじゃないかと思えてくるから不思議。「楽しくもあり」の方は放っておいても楽しめる。問題は「楽しくもなし」の方だ。どうしたら感謝と喜びを持って、「楽しくもなし」を受け止められるのだろうと。

今年のはじめ頃、私が太田省吾さんの世界に出会ってひかれたのは、その辺の答えが彼の戯曲には眠っているような気がしたからだ。予感を実現できるだろうか。まだわからない。でもコツコツと掘っていけば、いままで見れなかった風景が目の前に姿を現すと信じている。

そんなわけで、世界の見方のひとつの「レッスン」として稽古場日誌を書き始めた。夏の公演に向けて、少しずつ綴っていこうと思う。
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近所の更地になった家。
しばらく見ないでいたら、大きな花壇みたいになっていた。