どこまで自分は手に入れたのか。で、どこからまだ借り物なのか。よーく見つめてみたら、すごく狭かった。へへ。増やして行かなくちゃなあ・・・。私の土地から採れるモノはまだまだ少ないです。
楽しくもあり楽しくもなし
2025年6月24日火曜日
楽しくもあり 楽しくもあり
2025年2月28日金曜日
『沈むフランシス』
松家仁之さんの長編小説『沈むフランシス』の文庫版に、「解説」を書かせていただきました。
小説の「解説」を頼まれたのは初めてのことだったので、「私にできるだろうか?」と不安と畏れ多い気持ちでいっぱいになりました。でも、『沈むフランシス』を読み終えた時、まるで見えないところからスッと光のバトンを渡されたような暖かい気持ちになりました。
松家さんの他の小説も読んでいきましたが、どの作品も読み終わる度に、いつも見えていた風景が違って見えるのが不思議でした。
それは周囲が変わったのではなくて、今まで気づいていなかったものが見えてきて、これまで知らなかった物事の捉え方を知ることができたからなんだと、しばらくして気づきました。
+
新潮社のWEB雑誌「yomyom」にて、小説『沈むフランシス』の「解説にかえて」の文章の一部と、私の朗読が公開されました。
音楽は、「やっほー!シネマ」の連載でいつも素敵な音を添えてくれた、てんこまつりさんがつけてくれました。私が言葉にしきれず、もどかしかった”何か”を、音として空間に響かせてくれた気がします。感謝です。
彼女は『沈むフランシス』を読んだあと、こんな感想を送ってきてくれました。
「星々は美しく調和し、宇宙を奏でていた」という私の好きな言葉があります。古代ギリシアのムジカムンダーナ(宇宙の音楽)というものについての言葉なのですが、それは最も崇高な音楽であり、楽器で奏でる音楽はあくまでその音楽を体現したものであるとされていました。
小説を読んでいる間は、耳に聴こえてくる音ではない音にずっと耳を傾けているようでした。音をつけるとしたら、小説の中に聴こえてきた“音”と、真歩さんが役者の道を歩いてきた旅路の“音”なのかなと思います。よく耳を澄ませて、その音を探ってみたいと思いました。
🌟
少し長いですが、ゆっくり聴いていただけたら嬉しいです。
2024年12月26日木曜日
年末です
今年はベートーヴェンの第九交響曲に始まり、いつも「歓喜の歌」を口づさみながら歩んだような一年だった気がします。
年のはじめに「体育会系宣言」をして“活字離れ”を試みましたが、終わってみれば、近年で最も本を読み、活字に救われた年となりました(「宣言」をすると、不思議と逆のことが起こるのかな?)。
自然と終わったこともあり、逆に新しく始まったこともありました。深く呼吸すること。黒い服を全部人にあげたこと。明るい色がまた好きになったこと。20年ぶんの日記を捨てたこと。木々の剪定を学び始めたこと。
木や植物は、基本的に明るい方へ、広い方へ育っていこうとします。剪定は、内向き、下向き、狭い方へいこうとする枝を切って、伸ばしたい方向の枝にエネルギーを回してあげる作業のようです。知れば知るほど、木はこの世界のエネルギーを見える形で体現しているすごい姿だと気づかされます。
自分のことも一本の木のように考えて、「この枝を伸ばしてあげたい」とか「この方向はやめとこうか」などと、時間をかけてよい姿の木になっていけたらいいなと思いました。
🎍
毎年お正月に、日本舞踊のお稽古場のみなさんと奉納舞踊を踊らせていただいています。阿佐ヶ谷の神明宮の能舞台にて、一月二日(木)十三時からです。お近くの方はぜひお立ち寄りください。
私は「万歳」を踊ります。昔、新年にえぼし姿で家々の前に立ち、祝いの言葉を述べ、つづみを打って舞う門付をする芸人がいたそうですが、その踊りです。
2024年11月19日火曜日
ありがとうございました
「砺波(となみ)という土地やそこで暮らす魅力的な人達をたくさん映画におさめたい」との山本監督の熱い想いから、登場人物の多くが本当に砺波にお住まいの方々でした。長編映画をつくるのがはじめての監督とスタッフ、カメラの前でお芝居をするのがはじめての方たち、いろんな人の「はじめて」がたくさんつまった映画でした。
上映後、「たくさん泣いて、笑ったよ〜」と声をかけていただいた時は嬉しかったです。また、砺波市長からは、季節外れの立派なチューリップをいただきました。チューリップのように明るく、太陽の方を向いてただ「わーい」と咲いている花が好きになってきた今日この頃です。
富山&金沢のスタッフの方たちと共演者の方たちと一緒に体験した砺波での日々は、私にとっての宝物です。「Ondan Sonra」はトルコ語で「それから」という意味だそうです。どうか皆さまにとって、良き「それから」になりますように。
またお会いする日まで。
🌷🌷🌷
彦々亭の名物ママと彩雪ちゃんと |
もんぶらんの名物ママと彩雪ちゃんと |
2024年11月10日日曜日
最近のこと
タイトルが気になって、「金井一郎 翳り絵展」を見に吉祥寺美術館へ行ってきた。
分厚いカーテンをめくって一歩中に入ると、暗い空間の中にぼんやりと発光している灯りたちが見えた。近寄ってみると、それらは烏瓜や蓮の実でつくった植物のランプだったり、米つぶほどの大きさの“街頭”で照らされた誰もいない階段や、雪あかりに包まれたミニチュアの夜の町の一角だった。
ひとつひとつ見て回っていくうちに、だんだん身体のなかが暖かくなっていく感じがした。エアコンやヒーターのように部屋中がまんべんなく暖まるものではなく、そばに行って手をかざすとじんわりと暖かくなってくる炭火のような、やわらかい灯りたちだった。また分厚いカーテンをめくって、蛍光灯の明るいロビーに出た時、「ああ、いま求めているのはこういうものだったんだなあ」と感じた。
+
数日後、ふだんは照明の仕事をされている年上の友人Tさんとお茶をした。Tさんはときどき私に面白い童話をメールで送ってきてくれる。この間も、「この童話の始まりの端っこに書いてある言葉のことを、最近よく思い出すのです」と、「らんの花」という小川未明の童話のことを教えてくれた。
お茶をしながら、「なんで童話をよく読むんですか?」と聞いてみた。Tさんは難しい哲学書なんかも色々知っていたからだ。「あのね、一昔前の童話に出てくる“灯り”の表現というのはとてもいいんだよ。小川未明や宮澤賢治もランプや電信柱のことをお話にしたりしてるしね」と答えた。
ああ、そうかと思った。一昔前の童話に出てくる「光」の描写がとても生き生きしているのは、今のようにどこもかしこも明るくなかったからなんだ。今はスイッチを押せば電気がパッとついたり消えたりする。でも一昔前(と言ってもせいぜい祖父母が子どもだった頃)には、太陽が沈む速度でだんだんと夜は来ただろうし、太陽が昇る速度でだんだんと世界は明るくなった。子どもにとっても大人にとっても、暗闇を照らす灯りは今よりずっとずっと貴重に感じられただろう。
私はその話を聞きながら、暗い部屋で静かに発光していた金井一郎さんの作品たちのことを思い出していた。もう一度あの灯りを見に行きたいなと思って調べると、嬉しいことに12月にまた展示があった。
2024年12月10日(火)〜12月21日(土)
AM11:00〜PM7:00(日曜休廊、土曜PM4:00まで)
+
「らんの花」(小川未明著)の朗読。
「この話をした人は、べつに文章や、歌を作つくらないが、詩人でありました。」
2024年10月16日水曜日
それから
先日、トルコ🇹🇷と日本🇯🇵の国交樹立100周年を記念して作られた映画、『Ondan Sonra(オンダンソンラ)』 の完成披露試写会に行ってきました。駐日トルコ共和国大使館にて初めての上映でした。
日本語で「それから」という意味の 『Ondan Sonra』というこの映画は、富山県砺波市とトルコのヤロヴァ市という素晴らしい二つの土地を舞台に、スタッフやキャストだけでなく現地の方達のたくさんのご協力をいただき、本当に手作りでつくり上げた映画です。
見終わった後、なんというかトルコで食べたライス・プディングの味ような優しい作品だなあと思いました。
内容は、砺波に住む専業主婦の「未知子」さんが、異文化、自分の知らない世界に触れて、大人になるという成長物語です。といっても、主人公の未知子さんはもう40代ですが。
私は「未知子」という役を演じながら、「人は幾つになっても成長することができるんだ。心をオープンにして、他者に出会って行こうとする限り」ということを実感しました。また、「人は幾つになっても夢を持ち続けることができる」ということも。夢は叶わないかもしれないと臆病になったり、途中で諦めたり、周りの人に馬鹿にされることを恐れずに、まずは行動していく。そんな彼女の底抜けの楽観とおおらかさも、学ぶことができました。
この映画に関わっていただいた皆様、これから見ていただく方にとって、より良き「それから」となることを心から祈ってます。
11月15日よりイオンシネマとなみ、JMAX THEATERとやまにて公開予定です。
2024年9月18日水曜日
音色(追記あり)
今週末、いよいよ初めてのリーディング劇「女中たち」(銕仙会にて)が始まる。
みんなで手探りで作り上げている。ジャン・ジュネの複雑な但し書きと、実際に試してみて「面白い。いいかも」という瞬間を羅針盤に稽古は進んできた。男性チームと女性チームで全く雰囲気の違うものがてきているようだけど、影響されないように、お互い見学は一切していない。
舞台という現象、保存したり再生はできないけれど、「体験」は残ると信じてやってこよう。
+
いつかの夜、ミュージシャンの友人、てんこまつりさんと斉藤さんから教えてもらったギタリスト。山下和仁さんの「展覧会の絵」。一人の人間の身体から、こんなに多様な音色が生み出せるなんてと驚いた。
いろんな声、音色のことを考えていて、思い出した。
2024年8月26日月曜日
帰りの電車の中で考えたこと
「やっほー!シネマ〜対話篇」の収録が終わり、松本からの帰り道一人になって、暗くなった外の景色を見ながら涙が出てきた。理由もわからないまま、涙はそのまま30分くらい流れ続けた。なぜ、私は美帆さんに会いに長野まで行ったのだろう?と思った。
大人になってから出会ったとても仲の良い夫婦が二組いた。一組は、女性の友人が写真を撮っていて、男性の友人が絵を描いていた。もう一組は、二人ともミュージシャンだった。それぞれの家に遊びに行っては、私たちは夜遅くまであれこれいろんな話をした。
その二組のカップルは同じタイミングで子供を産み、ほとんど同じタイミングで東京を離れて移住した。一組は長野へ、もう一組は福岡へ。私によく懐いていた黒猫も、一緒に福岡へ行ってしまった。絵描きの友人は引っ越す前に、私に言った。「東京の良さも捨てたくないよ。でも今は生活のことで頭がいっぱいだ」。 彼が最後に描いていたのは、一足の靴のつま先が二股に分かれている絵のシリーズだった。まるでどっちの方向に歩いて行ったものか、立ち往生しているように見えた。
私の中にもいつからかずっとこれに近い感覚があったと思う。
でも、と言ってみる。無い物ねだりをしても仕方がないのだ。
もう何年も前に、私が人生の大きな局面に頭を抱えていた時、魅力的な先輩の女性がニッコリ微笑んでこんなふうに言ってくれたことがある。私は今だにこの言葉が忘れられない。
「白黒はっきりつけているうちは子供よね、真歩さん。」
2024年8月23日金曜日
「手を振りたい風景」をめぐって
🍉お知らせです🍉
「やっほー!シネマ 〜対話篇」の第3回目(後篇)が公開されました。
ゲストの美帆さんが二本目に選んでくれた映画『スパニッシュ・アパートメント』の英訳タイトルは「POTLUCK(ポットラック)」というらしい。「ありあわせの料理を持ち寄る」という意味。ホストが全てを用意するのではなく、ゲストも好きな料理を持ち寄って、みんなで食べる肩肘張らないパーティー。
今回の「対話篇」はまさにそんな回になった気がします。私に“司会”の能力が欠けているせいもあって、会話があちこちに飛びながらも、わちゃわちゃと楽しく、時に深いところに触れながら進んでいきました。参加してくれた川口ミリさんは所々で重要なキー・ワードを出してくれて、「私は今日は黒子で…」とおっしゃっていたPINTSCOPEの小原編集長も、途中参加して話に深みを与える質問を投げかけてくれました。
みなさま、ありがとうございました。とても大切な回になりました。
どこかにいるあなたにも届きますように。
↓ ↓ ↓
00:00 改めて、レイソン美帆さんのご紹介
09:40 心に残る一本の映画 その②『スパニッシュ・アパートメント』
18:50 毎日がホリデーなんだ
27:42 「やっほー!」は魔法の挨拶
38:48 みんなの中の自分なんだ
53:40 朗読
2024年8月22日木曜日
「人間らしさ」をめぐって
🌻お知らせです🌻
「やっほー!シネマ 〜対話篇」の第3回目(前篇)が公開されました。
今回は、長野県松本市まで行って収録してきました。この日は、朝から少し体調が悪かったのですが、自然あふれる開放的な空間と、同行してくれたライターの川口ミリさん、PINTSCOPE編集長の小原明子さんにトークでも助けられ、最後まで楽しんで収録を終えることができました。(「前篇」と「後篇」は同じ日に録音したのですが、明らかに自分の声のトーンが違うの不思議です……。)
松本は至る所に湧き水が湧いていて、前篇の収録場所で貸していただいた銭湯「菊の湯」のすぐ脇の湧き水は、味が透明で身体に染み渡りました。また、お昼にみんなで寄らせてもらった「アルプスごはん」のご飯も目が覚めるほど美味しかったです。
今回、ゲストで出てくれたレイソン美帆さんには、たくさんの生きるヒントと元気をもらいました。ありがとうございました。
川口ミリさんが最後に読んでくれたトルーマン・カポーティの遺作『叶えられた祈り』からの一節も心に響きましたが、「人間らしさってなんだっけ?」と考える回になった気がしています。
「永遠や完璧さをのんだり、大人になることをのぞむのは、結局は、オブジェか祭壇かステンドグラスの窓のなかの聖人になることでしかないことを思い出しなさい。どれもみんな大事にはされるかもしれないけど、そんなものになるよりも、くしゃみをしたり人間らしさを感じたりするほうがずっといいのよ。」
どこかにいるあなたにも届きますように。
↓ ↓ ↓
00:00 レイソン美帆さんへの手紙
06:55 つんつんしていた頃の自分を変えたもの
16:00 心に残る一本の映画 その①『17歳のカルテ』
24:30 弱さを隠さなくてもいいと思える場所
34:20 いろんな人の裸が教えてくれたこと
52:26 朗読
毎回、とても細やかな編集作業をしてくださる音声ディレクターの原田惇さん、本当にありがとうございました。
「後篇」は明日公開予定です!
2024年8月3日土曜日
お知らせなど
最近、朝起きても暑くてジョギングができない。日課になりかけていたのになあ。無理せず、涼しくなってから外に出ようか。
夜のウォーキング中に私の朗読(第一回目の「寒い季節のはじまりを信じてみよう」)を聞いてくれた方が、こんな感想をくれた。
夜、ウォーキングをしながら聞きました。 いつものウォーキングコースがちょうど暗渠の上にあります。凍った川のことを思い出したり、車がたくさん走る道路が大きな川に見えたりそこを馬で渡る想像をしたり蒸し暑い夜に夏の心で冬を想像するのはとてもおもしろかったです。苦しみとの付き合い方みたいな内容もすんなり受け止めれたような気がします。
歩きながら聞く朗読は自分一人で読みすすめなきゃいけない読書とは全く違う経験なんですね。ゆっくりとぼとぼ歩くスピードに山田さんの声が付かず離れず付き合ってくれたような感じがしました。
自分の好きなタイミングで聴けるのでスマホで聴ける形式とお声がとてもあっていたように思います。みなさんがどんなシチュエーションで聴いているのか気になってきました。
「いつかどこかにいる誰かに届いたら」と思ってやっているわけだけど、やはり今を生きている誰かの感想はとても嬉しいし、励みになります。ありがとうございます。
+
第4夜目は、『じっとしている唄』(小栗康平著/白水社/2015年12月5日発行)より、「ミツマタ」「ガマガエル」「雨の音」という三つの短いエッセイを読みました。
小栗康平さんの文章を声に出していると、なぜか「どこにも行かなくていい」と言われている気がする。こんなにみんなが「どこか」へ行こうとして、「何か」になろうとしている世界の中で、時間が止まっているような不思議な感じになりました。 どうしたら、こんなふうに世界をゆったりと見ることができるのだろう。
2024年7月16日火曜日
眠れぬ夜のための朗読
眠れない夜、皆さんはどうしていますか?
私はラジオや朗読、人の声を聞いているとなぜか安心して眠れます。目に見えない音が、聴く人のこころを沈めてくれるからしょうか。
これから、日々の中で出会ったエッセイや詩、童話、自分の創作なども含めて、様々な文章を読んでいきたいと思います。もし、眠れない夜がありましたら、思い出して聴いてみてください。
声を通して、皆さんと繋がっていけたら嬉しいです。
2024年7月5日金曜日
Everything will be okay
7月になった。今年ももう折り返しだ。
電話とメールだけができるシンプルなガラケーにしてからもう半年が経つ。この不便さにもなれてきた。というか、困ったら周りの人が助けてくれているのだと思う。感謝。
ただ、写真が撮れたらなあと思っていたら、最近、仲良しの照明部さんからデジタルカメラを譲り受けたので、今回のトルコロケに持って行った。
久しぶりに写真を撮ったら、すごく楽しかった。
撮影が終わった次の日は、イスタンブール在住の西村夫妻が、モスクやバザールを案内してくださった。ありがとうございました。
Ondan Sonra
映画『Ondan Sonra(オンダンソンラ)』の最後のシーンの撮影で、トルコに来ていました。富山県の砺波市とトルコのヤロヴァ市をつなぐ物語の一員になれたことを、とても誇らしく感じています。本当に様々な方のおかげで、無事にクランクアップを迎えることができました。
トルコ語の「Ondan Sonra」には「それから」という意味があるそうです。この作品に関わった全ての方にとって、良き「それから」につながっていきますように!
明日、梅雨明けの日本に戻ります。
2024年5月26日日曜日
今年ももう半分
5月が終わろうとしている。
今年の年明け、自分に誓った宣言がある。その一つが、「体育会系になる」というものだった。自分で言うのもなんだけど、もともとは天真爛漫な?体育会系女子だったのだ。子どもの頃はバレエ、新体操をやっていたし、かけっこだって早かったし、中高とソフトボール部の部長(キャッチャー)だった。
それが変わってきたのは多分大学の演劇サークルに入部した頃だ。分厚い瓶底のようなメガネをかけた(しかも片方はひび割れてセロテープで貼っていた)先輩に「君は不幸が足りないよ」と忠告されてからというもの、私はドストエフスキー『罪と罰』をはじめ、なるべく苦しそうなタイトルの本を手にとるようになり、暇さえあれば本を読むという習慣が身についてしまった。
「役者の仕事は待つこと」とは誰が言ったか、本当に「待つ」ことが多い。役がくるのを待つ、役がきても自分の出番まで何時間も待つ。砂漠で雨乞いをする流浪の民にでもなったような気分になることもある。
そして、その「待ち方」にそれぞれの個性が出る。ある先輩俳優のNさんは、撮影の空き時間に近くのジムでボルダリング(ロッククライミング)をしてきたと聞いて驚いた。またある老俳優のKさんは、昼の撮影の後に銭湯へ行ってさっぱりして戻ってきたら、メイクさんに「次は死んでるシーンなのにお肌がツヤツヤじゃないですか!」と叱られたという。うまく待つというのは難しい。
そういう私はというと、やはり本を読むことが多かった。休日などは図書館に行って、予約していた本の山積みタワーをカウンターで受け取るということもしばしばだった。で、今年は冒頭の「体育会系宣言」もあり、まず図書館通いをやめてみようと思った。いわゆる「活字離れ」を自分に課したのだ。
数ヶ月は本なし生活はうまく行っていた。が、今月に入ってそれは破られた。今、私の机の両脇には本が積み重なっている・・・。
(つづく)
2024年4月29日月曜日
ある夜の出来事
七日間の怒涛の富山撮影から無事に帰ってきた(デビュー作の短編自主映画の時以来の大変さと可笑しさがないまぜになった、毎日が嵐のような現場だった)。
家が静かで電気が消えていたので、アルコールランプに火をつけてこれを書いている。停電ではなくて、支払いが滞っていたのだろうか? 銀行引き落としにしているはずだけど。原因はよくわからない。ランプを買っておいてよかった。
なんだか不思議な「縁」を感じたので、忘れないうちに書いておこうと思う。
夜九時頃、新幹線を乗り継いで最寄りの駅に帰ってきた。スーツケースを引きながら蕎麦屋を目指している途中で、古道具屋をやっているK君に「真歩さん」と声をかけられる。「お店、十年目になりました」と彼は言った。「おめでとう」と、お土産に買った「白えびチップス」を彼にあげた。
蕎麦屋は予定より早く閉まっていて、仕方がないのでそのまま銭湯に入って、駅前でタクシーを待った。一台目のタクシーに乗ると、個人タクシーで、テレビもついていなくてクラシックがかかっていた。
この駅は北口が面白いですね。白いカエデの花ばかり植えている。お客さんは生まれは東京ですか?(東京ですが、富山帰りです。)薬屋ですか?(え?)富山の薬売りって、有名ですよ。私が子供の頃にはカゴを背負って売りに来てました。私は地元が九州の山奥、まあジャングルのような場所です。そこに二十代までいました。八人兄弟の末っ子で、生まれた三ヶ月後に原爆が落ちて、しょっちゅう聞かされていたからもう自分が見たように思います。
私は自分で言うのもなんだけど、天才のようで記憶力が良かった。東大に受かったけど、行かなかった。勉強した覚えもない。あんな知識なんて意味がないです。勉強ができたって、全然すごいと思えない。(ではどんなことをすごいと思いますか?)ある時、子供たちが大きな木の木陰に休んでいたんです。でも誰もその木のことを知らないんですよ。名前を。クスノキなんですけどね。そういうことを知らなきゃダメだと思いますよ。
私はノーベル賞をもらっているんです。(え?)ノーベルの奥さんの方からね。いい人だったなあ。八つの童話を書きました。(へえ、読んでみたいです。)まあ、ご縁があればね。ああ、この場所はMの家の近くだな。(え? 私はMちゃんの親友ですよ!?)と、私は今日一番驚いて大声を出したけれど、そのタクシーの運転手は、ああ、と答えただけで、たいして驚いていなかった。(こんな偶然はそうそうないですよ?)そうでしょうねえ。
あまりに不思議な巡り合わせだったので、撮影のクランクアップでもらった小さな白いバラの花束をそのタクシーの運転手さんにあげた。「今度浮気しましょう」と言ったように聞こえた。降りる時、「あれ、そういえばお支払いしてもらいましたか?」と言われて爆笑した。すっかり忘れていた。私が降りたあと、ドアも閉めずによろよろとタクシーが動き出して、電柱にゴンとぶつかっていてさらに笑った。
運転席からふらりと夜道に降りてきて、その八十歳のタクシーの運転手は言った。ワタシ、この仕事もう辞めようと思ってるんですよ。(何をするんですか? また九州の山奥に帰るんですか?)そうですねえ、山の中で大麻を育てようと思ってるんです。そこで死ねれば本望です。
忘れられない七日間の撮影の最後の締めくくりに、なんとも変なタクシーの運転手さんに会って、時空が異空間に入ったような感じがした。
電気が消えていると家の中がしんとしていてとても静かだ。
2024年4月9日火曜日
「言葉にならないこと」をめぐって
どこかにいるあなたへ届きますように。
↓ ↓ ↓
00:00~ 改めて、林建太さんのご紹介
02:44~ 見えること、見えないこと、わからないこと
11:37~ 心に残る一本の映画 その②『空に聞く』
17:29~ 何を切り取るのか、何を見ていくのか
52:02~ 「詩の言葉」と「散歩すること」
58:41~ 朗読
(音楽:てんこまつり/音声編集協力:和田美砂子/PINTSCOPE編集部:小原明子、鈴木健太/音声ディレクター・音声技術:原田惇)
+
なお、【後編】で林建太さんがご紹介してくださった小森はるか監督の『空に聞く』が、4/20(土)~4/26(金) の期間に下高井戸シネマで日替わりで上映されるそうです。
そしてなんと、佐藤真監督の『おてんとうさまがほしい』という作品も同時にラインナップされています。これまた嬉しい偶然です。
特集〈日々をつなぐ〉 @下高井戸シネマ 4/20(土)~4/26(金) 日替り上映
🌸 🌸 🌸
2024年4月2日火曜日
「ありのままの風景」をめぐって
🌸 🌸 🌸
映画のコラムサイトPINTSCOPEのポッドキャスト、「山田真歩のやっほー!シネマ 〜対話篇」が公開されました。
今回はゲストに林建太さん(視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ代表)をお招きして、いろんなお話をお聞きしました。林さんが「こういうことをあまり人に語ったことがないので・・・」と何度も立ち止まって、言葉を探しながら、とつとつと話してくださった姿が印象に残りました。
今回の対話篇には「人にあまり話したことのないこと」や「言葉にするのが初めての話」が詰まっていて、まるで、これまで踏み入れなかった裏山の雑木林を分け入っていく気持ちになりました。
終わった後、林さんからこんなメッセージをいただきました。
「私の内心のもどかしさが消えるわけではないのですが
このもどかしさ込みの語りをどこかに放流しても良いのだと思えました。
いつか誰かに届くと良いなと思います。」
とても嬉しい言葉でした。
今回、対話篇にも参加していただいたPINTSCOPE編集長の小原明子さん、とても細やかな編集作業をしてくださった音声ディレクターの原田惇さん、本当にありがとうございました。
↓ ↓ ↓
【前編】 「ありのままの風景」をめぐって
00:00〜 林建太さんへの手紙
02:25〜 世界の見方がほぐされた
12:36〜 佐藤真監督の元で何を学んだのか
22:34〜 人や風景を「ありのまま」に見るということ
34:26〜 心に残る一本の映画 その①『SELF AND OTHERS』
55:41〜 朗読
(音楽:てんこまつり/音声編集協力:和田美砂子/PINTSCOPE編集部:小原明子、鈴木健太/音声ディレクター・音声技術:原田惇)
【後編】は、4/9(火)に公開予定です。
2024年3月7日木曜日
嬉しい偶然
去年の年末から始まった「やっほー!シネマ 〜対話編」の中で、ベートーヴェンの交響曲第九番のことに触れた。
「おお友よ、このような音ではない! そうではなく、もっと楽しい歌をうたおう。もっと喜びに満ちたものを!」と、それまでの雨雲を振り払うかのように、最後の最後で圧倒的な光の洪水の「歓喜の歌」が始まる。それを聴いて、まるでオセロゲームのように黒一色だった盤面が、白色にひっくり返されていくような気持ちになった、というような話。
それ以来、気づくといろんな場所でベートーヴェンの「喜びの歌」を耳にする。映画館で観た『ノスタルジア』の中で。ノゾエ征爾さんの舞台『マクベス』の中で。友人に誘われて観に行った舞台『スプーンフェイス・スタインバーグ』(安藤玉恵さんの回)の中で。偶然出会った方に教えてもらったブータン料理店の店内で・・・。
それぞれ曲のアレンジや状況は全く違ったけれど、私にとっては今年始まってから途切れなく聴こえてくる応援歌のようで、なんだか嬉しい。
+
先日、「やっほー!シネマ 〜対話編」の第三回目のゲストに来ていただいた方と、都内のとある場所(面白い空間だった)で収録してきた。何時間かの対話が終わったあと、しばらく何も考えられずに放心してしまったくらい、濃密な時間だった。いろいろなことを話していただき、感謝です。
何週間か前の打ち合わせの時、そのゲストの方の心に残る映画を二本選んでいただいた。そのうちの一本に小森はるか監督の作品があり、「新作をぜひ紹介したいのだが、残念ながら今のところ公開が決まっていなく、自主上映先を探している状況らしいです」とのことだった。でも、つい最近、なんと新作の上映が決まったらしく、「対話篇」の収録に間に合って、ご紹介することができた。なんとも嬉しい偶然だった。
映画『ラジオ下神白―あのとき あのまちの音楽から いまここへ』。四月十二日よりフォーラム福島で先行上映、四月二十七日よりポレポレ東中野ほか全国で順次公開。
ポッドキャスト「やっほー!シネマ 〜対話編」第三回目は、桜が満開になったころ、配信の予定です。お楽しみに。🌸
2024年1月2日火曜日
新年
↓
00:00 2024年の目標は決まってる?
04:25 年末年始に観たい映画 「アントワーヌ・ドワネルの冒険」シリーズ
10:20 アントワーヌ少年に自分を重ねた大学時代
16:11 シリーズものをまとめて観ることの面白さ
23:00 別れゆく女性たちの強烈な捨て台詞
32:48 デルフィーヌ・セイリグの話をしたい
44:11 トリュフォーの「屈折した思いやり」
48:13 朗読
2023年12月26日火曜日
対話編(第一回)
以下は音の目次(喋っている内容のおおまかな分数)です。
↓
00:00 今年一年を振り返ってみる
08:55 年末年始に観たい映画 その①『ダンシング・ベートーヴェン』
13:33 喜びの方に向かっていくこと
19:28 時間をかけることの大切さ
24:54 自分の《孤独》も踊りにする
30:53 年末年始に観たい映画 その②『タンゴ・レッスン』
41:30 運命は意志の力で作られる
51:44 女が憧れる女性像
53:22 朗読
2023年12月15日金曜日
もうじき年末
今年は一年の最後に「新しいこと」を始めます。
これまで5年間、映画のコラムサイトPINTSCOPEで「やっほー!シネマ」というコラムを書いてきました。もともと感想文は苦手だし、何か良いものを見ても「良かったよ」とか「面白かったです」など、シンプルな言葉で済ませていました。それがコラムとなると、「面白かった」の一言では済まなくなり、どこがどう良かったのか、なぜそれを良いと感じる自分がいるのか……なんて普段考えないことまで深く考えていくことになりました。
自分の内側を見つめるということ。言葉にならないモヤモヤしたものを言葉にして誰かに伝えようとすること。そういう体験ができたことは、得難く幸運なことだったと思います。
ただここ最近、「一人じゃなくて誰かと語り合いたい」という想いがふつふつと芽生えてきました。今度は誰かとの「対話」を通して、映画のこと、そこから感じたこと、物事の見方や考え方などを一緒に考えていけないものか、という想いが強くなって来ました。
+
というわけで、先日、都内のとある公園の芝生の上にレジャーシートを広げて、「やっほー!シネマ 〜対話篇」の第一回目を収録をしてきました。途中、木の上のカラスが鳴いたり、お弁当を食べ終わったおば様たちの笑い声が通り過ぎたり、とても面白いロケーションでした。
ただ、時間をかけて熟考できる「書き言葉」と違って、その場で言葉を見つけながら話すのってこんなに難しいんだ! と思いました。当然ラジオDJのように次から次へと流暢なトークは出来るはずもなく、とつとつと、つっかえながら、迷ったり、立ち止まったりしながらなんとか話してきました。
収録後、反省点は数え切れないほどありましたが、今後うまく行く“種”として、次回に活かしていけたらと思っています・・・。
第一回目のテーマは、「年末年始に観たい映画」です。最初は、私のコラムの編集担当をずっとしてくれていた編集者・ライターの川口ミリさんと二人でお届けします。
12/26(火)と1/2(火)に、PINTSCOPEのサイトやポッドキャストで配信予定です。大掃除をしながら、おせち料理の準備をしながら、聞いてみてください。
良い年末になりますように。