七日間の怒涛の富山撮影から無事に帰ってきた(デビュー作の短編自主映画の時以来の大変さと可笑しさがないまぜになった、毎日が嵐のような現場だった)。
家が静かで電気が消えていたので、アルコールランプに火をつけてこれを書いている。停電ではなくて、支払いが滞っていたのだろうか? 銀行引き落としにしているはずだけど。原因はよくわからない。ランプを買っておいてよかった。
なんだか不思議な「縁」を感じたので、忘れないうちに書いておこうと思う。
夜九時頃、新幹線を乗り継いで最寄りの駅に帰ってきた。スーツケースを引きながら蕎麦屋を目指している途中で、古道具屋をやっているK君に「真歩さん」と声をかけられる。「お店、十年目になりました」と彼は言った。「おめでとう」と、お土産に買った「白えびチップス」を彼にあげた。
蕎麦屋は予定より早く閉まっていて、仕方がないのでそのまま銭湯に入って、駅前でタクシーを待った。一台目のタクシーに乗ると、個人タクシーで、テレビもついていなくてクラシックがかかっていた。
この駅は北口が面白いですね。白いカエデの花ばかり植えている。お客さんは生まれは東京ですか?(東京ですが、富山帰りです。)薬屋ですか?(え?)富山の薬売りって、有名ですよ。私が子供の頃にはカゴを背負って売りに来てました。私は地元が九州の山奥、まあジャングルのような場所です。そこに二十代までいました。八人兄弟の末っ子で、生まれた三ヶ月後に原爆が落ちて、しょっちゅう聞かされていたからもう自分が見たように思います。
私は自分で言うのもなんだけど、天才のようで記憶力が良かった。東大に受かったけど、行かなかった。勉強した覚えもない。あんな知識なんて意味がないです。勉強ができたって、全然すごいと思えない。(ではどんなことをすごいと思いますか?)ある時、子供たちが大きな木の木陰に休んでいたんです。でも誰もその木のことを知らないんですよ。名前を。クスノキなんですけどね。そういうことを知らなきゃダメだと思いますよ。
私はノーベル賞をもらっているんです。(え?)ノーベルの奥さんの方からね。いい人だったなあ。八つの童話を書きました。(へえ、読んでみたいです。)まあ、ご縁があればね。ああ、この場所はMの家の近くだな。(え? 私はMちゃんの親友ですよ!?)と、私は今日一番驚いて大声を出したけれど、そのタクシーの運転手は、ああ、と答えただけで、たいして驚いていなかった。(こんな偶然はそうそうないですよ?)そうでしょうねえ。
あまりに不思議な巡り合わせだったので、撮影のクランクアップでもらった小さな白いバラの花束をそのタクシーの運転手さんにあげた。「今度浮気しましょう」と言ったように聞こえた。降りる時、「あれ、そういえばお支払いしてもらいましたか?」と言われて爆笑した。すっかり忘れていた。私が降りたあと、ドアも閉めずによろよろとタクシーが動き出して、電柱にゴンとぶつかっていてさらに笑った。
運転席からふらりと夜道に降りてきて、その八十歳のタクシーの運転手は言った。ワタシ、この仕事もう辞めようと思ってるんですよ。(何をするんですか? また九州の山奥に帰るんですか?)そうですねえ、山の中で大麻を育てようと思ってるんです。そこで死ねれば本望です。
忘れられない七日間の撮影の最後の締めくくりに、なんとも変なタクシーの運転手さんに会って、時空が異空間に入ったような感じがした。
電気が消えていると家の中がしんとしていてとても静かだ。