さっき、村上春樹の新刊を半分読み終えて「よし、下巻に移ろう」と思ったら、間違えて下巻から読んでいたことに気づいて愕然とした。
表紙も何だか似ていてよく分からなかったし、目次だってどこから読んでも差し支えなさそうだった(すみません言い訳です)。それにしても今回は何の説明もなく新しい登場人物が次から次へと出てきておかしいなあとは思っていたけど、新しい小説スタイルなのかもしれないと思って読み進めたのだ…。
こういう失敗は小学校三年生の時にも一度あった。
その頃、サンタクロースにもらった『赤毛のアン』を夜ベッドの中で読むのが楽しみで仕方なく、登場人物たちの先のことが知りたくて知りたくて、我慢できずに最後のページを少しだけ読んでしまったのだ。ちょうどめくったそのページで、アンの育ての親のマシューが死んでいた。「マシューが死んでる!」と私は愕然とし、しばらく本を閉じた。登場人物の行く末を知ってしまった私は、その後「この人、死ぬんだよな」と涙なしには読めなくなってしまった。
「本は最後から読んではいけない」。これは小学校三年生の時に身につけた私の小さな哲学だった。
私がもやもやした気持ちを抱えながら『騎士団長殺し』下巻を手に眺めていると、「逆さから読めばおおかたの物事はトンチンカンに見える」とその分厚い本がつぶやいた。
「知ってしまったことを知らないことにはできないし、記憶喪失にでもかからない限り、上巻を楽しめないかもしれないです」と不安げに私が言うと、しばしの沈黙ののち「イルカにはそれができる」と分厚い本がさらりと言った。
うーん、イルカになったつもりで読んでみるか。