2018年6月13日水曜日

私にとっての「楽しくもあり」


朝、公園を散歩しながら、引き続き「楽しくもあり、楽しくもなし」という言葉について考えていた。
私が「楽しくもなし」と思うときは、こんなふうに自分は世界を見たくないという価値観を無理やり押しつけられるとき。それはとても狭い見方で、一面的で、人や物事を枠にはめないと気がすまない。本当にそうか? もっと世界は豊かなはずだし、もっと多面的で面白いはずではないか? と思う。

じゃあ自分にとっての「楽しくもあり」はどんなことなんだろうと思う。自分の物の見方を変えてくれるものが好きだ。
昔からためている「こういうことがしたいフォルダ」をのぞいてみたら、そのほとんどがダンスだったのは興味深い。


たとえば①
会議は踊る? こんな国会中継があったら喜んで見たい。


たとえば②
こんなふうに「言葉」をしゃべることも出来るのだね。誰かと喧嘩したいとき、これからこんなふうにしてみよう。相手を傷つけることもない。


やっぱり踊ると気持ちがいい。見るのも好きだし。小さい頃からそうだった。
こういうことがやってみたい。

たとえば③
手話のような踊り。踊りのような手話。素敵で繰り返し観てしまう。



こういうもので世界が溢れますように。