2020年8月5日水曜日

音楽のことなど

1.

そういえば以前、神保町に「ジャニス」という音楽CDレンタルショップがあった。
何か新しい音楽を探しに行こうと思うと、私は電車に乗ってよく「ジャニス」へ行った。ワンフロアの店内には所狭しと様々な国の様々な時代の音楽がぎっしりと詰まっていて、そこへ行けばいつも聴いたこともないような心躍る音楽と出会うことができた。
そんな「ジャニス」も時代の流れには逆らえず、何年か前に閉店してしまった。それ以来、私の持っている音楽はあまり変化がない。もう今持っている曲はほとんど聴き飽きてしまったし、またどこかに探しに行かなくてはと思うのだけど…。

2.

最近、元気をもらったもの。
ベンジャミン・ザンダーさんという指揮者のお話。「音楽と情熱」



3.

映画のコラム「やっほー!シネマ」がUPされました!
書けない書けない、と口ぐせのようにぶつぶつ言いながらも、今回で15回目…。
いつも文章を書くとき、「ねえ、いまどんなこと考えてるの?」とまず自分に聞いてみるのだけど、大抵「うーん、わかんない」とか「とくに何も考えてないよ」なんてふうにはぐらかされるのでとても困る。
それでも、諦めずに繰り返し聞いていくと、観念してかポツリポツリと語ってくれる。今回はこんな感じの文章ができました。
どこかの誰かに届きますように。

2020年7月19日日曜日





2020年7月4日土曜日

お守りのようなもの


本の好きな友人が、小さなブックレットを送ってくれた。『中くらいの友だち』というタイトルの小冊子で、表紙には「〈緊急特集〉韓国コロナ19」とある。
付箋のあったページをめくると、パク・ミンギュという小説家のエッセイが載っていた。何気なく読み始めたけれど、あっという間に引き込まれた。読んでいる間中、ひからびていた地面に水がしみ込んでいくみたいな気持ちになった。そして読み終えたとき、「そうだ、私はこういうことを感じていたんだ」と思った。

コロナウィルスのことが騒がれ始めてから心の奥で思っていたけれど、なんとなく口にできずにいたことがあった。
それは「地球にとっては私たち人間がウイルスなのかもしれない」ということだった。私たちのあらゆる種類の欲望のために、見えないところできれいな水が汚染され、遠くで森林が蝕まれ、ずいぶん多くの動物が静かに殺害されてきたと思う。今、見ずにきたものが目に見える形で、「ほら、あなたたちがやってきたのはこういうことだよ」と、逆に鏡を向けられているような気がしていた。
パク・ミンギュさんが書いてくれたこの短いエッセイを読んでいて、そんなふうに感じるのは私だけじゃないんだ、と嬉しくなった。
一部を抜粋してノートに映した。「我々はもう少し大人にならなくてはならない」という言葉にもドキッとした。これから私のお守りにしたい。いい文章って、お守りなんだなと思った。



『中くらいの友だち』の裏表紙にはこんな言葉が書いてあった。
表紙絵のことば
トクサルとは、朝鮮時代に多く作られた、節季に作るお餅やお菓子に文様をつけるための陶器の押し型です。今号は花文の中の桔梗文。桔梗の根は薬草としても重宝され、「止咳、去痰、のどの痛み、解熱」などに効果があるようです。
現在コロナで大変な世の中ですが、この桔梗文の『中くらいの友だち』がお守りになれば良いのですが。

2020年6月3日水曜日

「ここよりはじまる」


映画のコラム「やっほー!シネマ」が更新されました。
今回は緊急事態宣言が出てからちょうど一ヶ月間のことをつづりました。
この時期に感じたこと、考えたことを忘れないようにしたい。ここから始まる未来のためのメモ。
 ↓  ↓  ↓ 





ここ最近、アニメーション映画『銀河鉄道の夜』を繰り返し何度も観ていた。
私が生まれて間もないころに出来た作品だというのに、ドキドキするくらい新しかった。
今、世界中の人に観てほしい。(英語字幕がついていればなあ!)


「ここよりはじまる(NUN KOMENCIGAS)」

2020年4月19日日曜日

ふてふてな日々 4


「毎日小学生新聞」が好きで毎朝読んでいる。
大人が普段やりとりしている難解な言葉も小学生にも分かるように教えてくれるし(最近だと「パンデミック」とか「世界大恐慌」とか)、全国の小学生に向けて語る女性編集長のポジティブな言葉にもいつも励まされる。
今朝は、私が以前コラムで触れた『やかまし村』のことが一面で紹介されていてなんだか嬉しかった。そうそう。大人に言われたからやるんじゃなくて、自分の頭で一つひとつ考えて行動する子どもが沢山増えないとね。


この新聞、個人的にいろいろ好きなコーナーがある。
深海魚アイドル図鑑には「なにそれ!?」と度肝を抜かれるし、子どもたちの俳句を紹介してそれを添削するという「キラリ一句」のコーナーも面白い。なにより“寒太先生”が添削するといつも根本的に内容が変わっちゃうのが可笑しい。

緊急事態の日々のなか、毎朝届けてくれてありがとうございます。
これからも楽しみにしています。


一昨日のこと。
今日もカレンダーは真っ白で何をするべきかわからなかった。
音楽が聞きたくなって、やさしい音楽がいいと思って、CDを買った。
CDを取り出すと、そこにはこんな言葉が。

「そこにある隙間は考える余白」

音楽はいいなあ。
斉藤友秋 Tomoaki Saito

2020年4月8日水曜日

ふてふてな日々 3

朝、川原をランニング。人気のない公園の桜の木の下で太極拳をする。
歩いたり、走ったり、踊ったり、身体を動かしているとふと良いアイデアが浮ぶのだけど、ほとんど書き留められないからしばらく経つと消えていく。あれはどこに行っちゃうんだろうなと思う。 


あちこちで散った花が幹のところにたくさん寄り添っていた。花が土の上に落ちているとホッとする。固いアスファルトの上じゃ行き場がないもんね。
触れると柔らかかった。(人とは濃厚接触できないけど花なら大丈夫。)




どこ行くの? 
土の中。
土の中に行ったら? 
しばらくゆっくりして、また花に。

2020年4月5日日曜日

ふてふてな日々 2


息苦しい日々だけど、久しぶりに声を出して笑った作品。最後は、なんか涙がでた。ありがとう。



2020年4月1日水曜日

「ふてふて」な日々


外がとても静かでしんとしている。
こんなに静かな東京ってこれまであっただろうか。時々、鳥の鳴き声がする。 
向いの窓から外を見ている小さな男の子と目が合った。学校は休み。もう何日も外に遊びにいけないのだろう。 
コロナウイルスの蔓延を防ぐため、外出“禁止”ではなく、自粛“要請”が政府から出た。引き込もれる人はいいけれど、働かなければ食べていけない人は外に出て行かなければいけない。政府は困っている国民に和牛券を配るという(ベジタリアンの人はどうするのだろう?) 
やれやれ。ため息が止まらないけれど、私がいまやるべきことはため息をつくことじゃない。
光と闇はいつも一つ。だとしたら、少しでもポジティブな面に目を向けて今日一日を過ごそう。


先日、実家に帰ったとき、テーブルにこんなメモが置いてあった。 
父が「やれやれ」と言うのが口ぐせで、ことあるごとに「やれやれやれやれ」と言うので、母が「『やれやれ』以外に言うことないの?」と言ったら、父は何やらせっせと書き出したらしい。 


私もこれからは、「ふてふて」とか「のたのた」とか呟くようにしよう。 


最近、読んだ本。
こんなときは詩が心の支えになる。
『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』 
『金子みすゞ童謡集 Something Nice』 

最近、書いた文章。
いま自分の立っている所から見えること、感じることを書こうと思って書きました。どこかの誰かに届きますように。


2020年2月29日土曜日

無事、春が来ますように

平凡な日常こそ、面白いし、未知数だし、スリリング。 
そんな風に思う今日この頃です。 

映画「架空OL日記」が本日から公開されました。
今夜、劇場に友達と観に行ってくれた妹からこんなメールをもらいました。 
「架空ol日記めちゃくちゃ笑ったよ。会場みんな爆笑してた。」
日本の映画館でお客さんがみんな爆笑するなんて……。そんな状況をうまく想像できないけど、もしそれが本当なら物凄く嬉しい!! 
いろいろ心配なことが多い中、劇場に観に行ってくださった方、ありがとうございました。
この映画はやはり友達とかと何人かで観に行くときっと楽しいと思います。いろんな事が落ち着きましたら、ぜひ映画館へ足を運んでくださいませ。 

○インタビュー 
「特別なことは何も起こらない、けど面白い!そんな映画の魅力って!? 」 

○予告編


2019年12月31日火曜日

二〇一九年最後の日


今年もいろいろあった。けど、もうよく思い出せない。
少しでも書いておくと忘れないのかなあ…。
まあいいや。きっと体験したことや心を動かしたことは、自分の体のどこかに残っていくものだと信じておこう。

最後に、最近よく聴いている曲をどうぞ。
それでは、よい年末を!


2019年12月11日水曜日

生みの母、育ての母


去年の冬、海に囲まれた島、長島で生まれた映画『夕陽のあと』がようやく完成した。この作品の中で私は育ての母親を演じた。血の繋がりはなくても、誰かを、何かを深く愛することが出来ることを知った。

そして今年の夏、「少年寅次郎」では寅次郎の生みの母親を演じた。理由があって自分では育てることが叶わなかった母親の身を切られるような辛さ、そして離れていても我が子を想い続ける深い愛を知った。



11月9日(土)は、映画『夕陽のあと』の舞台挨拶で新宿シネマカリテへ向かいます。
そして同じ日の夜には、NHKドラマ「少年寅次郎」で寅次郎の生みの母親「お菊」として登場します。

どちらの母もぜひ。

↑挨拶文

★追記★
12月17日に『夕陽のあと』の舞台挨拶・トークショーがあります。映画のことなど思い出しつつ、ゆっくり話せたらと思っています。撮影から一年経ったからこそ話せることもあるかなあと。お待ちしています!

詳細です↓
📌アップリンク吉祥寺 12/17(火) 12:10からの回上映後。
登壇者:山田真歩、越川道夫監督


2019年12月4日水曜日

関西弁バージョン


「なんかよーわからへんけど、気になる」とか、
「言葉にならへんけど、なんか好き!」とか、そう思うことがよくあんねん。

言葉にならへんものは伝わりにくいねんな。
わかりにくいものは広がりにくいねんな。めっちゃ時間かかるやろ。
わかりやすいものは、すーぐ流通すんねんな。
記号とか情報とか数字とかは、誰の目から見ても明かやもんね。
誤解とか誤読のしようもないし。迷子になることもない。
せやけど、そんなんばっかの世の中はおもろないねん。

白黒はっきりせぇへん曖昧なものたち。
「つかんだ!」思ったらもうちごてるものたち。
束ねようとする言葉の間を煙みたいにすり抜けるものたち。
そういうものたち、いっつも「がんばれー」思うねん。
ま、時々「どっちやねん!」ってつっこみたくなるけどな。

ちゅうわけで、ピントスコープ第11回目更新やで!
     ↓ ↓ ↓



ときどき無性に関西弁を喋りたくなるときがある。デタラメの関西弁を喋っているうちに不思議と肩の力が抜けていき、「ま、そんな肩肘はらんでもええんちゃうん? 眉間にぎょーさんシワ寄っとるで〜」みたいな気分になってくる。テレビのニュースとかも、関西弁で事件を伝えるニュースキャスターがいたら印象はだいぶ変わる気がする。
なんだろうこの魔力…。試してみてください。おすすめです。




2019年10月2日水曜日

OUR DAILY BREAD

「やっほー!シネマ」の第10回目が更新されました。
今回のテーマは「食」。食べることを通じて、今の私の日々の中から見えたこと、感じたことを書きました。


先日、『大人ごはん Vol.3』という雑誌の中で「食べること」について対談をした。メンバーは古書コクテイルの店主・狩野さん、『大人ごはん』編集長の室谷さん、そして私。それぞれがその場で料理をつくって、それを囲んで食べながら語り合うというとても面白い会だった。
私は映画『夕陽のあと』の撮影も近かったので、漁師料理を参考に、鰤のなめろう、蛸とジャガイモの煮つけをつくった。狩野さんは酒粕入りの味噌ラーメン、室谷さんは小林カツ代のトマトスープ(どれもとても美味しかった!)。
石垣島の焼酎を飲みながら、話しは料理のこと、芝居のこと、結婚のこと、あちこちに飛んでいき……。たくさん笑った。
(ごはんと文化と生きることが好きなすべてのオトナに送る雑誌)



2019年9月24日火曜日

ハン・ガンさんの本


ある時期から小説が読めなくなった。
その頃いろんなことで心が傷き、人間の心を扱う小説を読むのがしんどくなってしまったのだ。最後に読んだ小説は、確か『死の棘』だったと思う。
私は小説の代わりに、詩や軽いエッセイを読み始めた。もう小説には夢中になれないんだと思うと残念だった。
でも最近、一冊の本に出会った。ハン・ガンさんの『菜食主義者』という小説だった。小説を夢中で最後まで読めたのは何年ぶりだろうか。そんな作品に出会えたことが、純粋に嬉しかった。

ハン・ガンさんの文章を読むと、心の一番奥の柔らかい部分が震える。そこはいつもは蓋をして隠しているところ。分厚く鎧をかぶって、少し鈍感になっていないと、いろんなことにいちいち傷ついてしまうから。
だけど、彼女の書く文章や声に触れるとその場所が柔らかく開き始める。「傷つきやすいこと」がとても大切なことのように思えてくる。むしろ失ってはいけない宝物なのだと思えてくる。
「どうか、心に鎧をして生きないで」
「なるべく裸の心のまま、震えて立っていて」
そんなふうに私に語りかけてくるように思うのは、きっと彼女がそのように世界と向き合っているからだろうと思う。
どれだけの傷に彼女は耐えて来たのだろう。

時々、「ああ、今ウソをついてしまった」と思うことがある。
心にも思っていないことを言ってその場を切り抜けてしまったと。そのようにして出てきた空っぽの言葉は、誰の心にも届かないし、何より言った自分が苦しいのに。
心の一番やわらかいところから出てくる飾りのない言葉。
そういうものが、いつの間にか消えないようにしたい。





2019年8月3日土曜日

八月になった

最近、平和について考えていた。
平和。……なんだかテーマが大きいし、漠然として難しい。
じゃあ逆に、私にとって“平和じゃない状態”ってどんなだろう?
そう考えてみると、とてもシンプルだった。ユーモアの欠如した状態。笑いが消えた世界。
心の底から笑うときが一番幸せだと感じる。

モンティー・パイソンのコントに「Philosophy Football(哲学者サッカー)」という作品がある。ドイツ対ギリシャのサッカーの試合なのだけど、選手は一度くらい名前は聞いたことのある有名な哲学者たち。ホイッスルの笛がなっても、誰一人ボールを蹴ろうとしない。レフリーの孔子からイエローカードをもらうニーチェ。ベンチで体を温めているマルクス……。
私は昔、この作品を見たとき腹の底から笑ったし、なんて知性のある大人たちなんだろうと思って憧れた。



今回の映画コラム「やっほー!シネマ」のテーマは、ずばり“平和”について。
「この2019年に30代を過ごす身だからこそ綴れる、“平和”のかたちがあるのではないか」と、編集担当のMさんから提案されて。
私はどんなことを考えているんだろう、と心の中を覗きながら書いてみたら、こんな文章と四コマ漫画が出来上がった。
 ↓  ↓  ↓
PINT SCOPE 「山田真歩のやっほー!シネマ」第9回



2019年6月5日水曜日

ポエトリー/アグネスの詩

ピントスコープの連載の第8回目が公開されました。
       ↓

今回はイ・チャンドン監督の『ポエトリー/アグネスの詩』という作品について書いてみました。コラムのバランスを考えて、「次はコメディにしようかな」とか「アニメについて書いてみようかな」とかいろいろ思うのだけど、やはり自分の心の琴線に触れるものを書こうと思うと、今回観たような作品になる。

悩ましいことに、「いいな」と思う作品ほど言葉にならない。だからこれまでは「いいな」と思っても自分一人の心の中に秘めて大切にしてきた。言葉にした途端になにかが限定されて失われるような気もして……。でも、そうすると広がっていかないということにも気づいてきた。こういう作品がもっと増えてほしいと思うし、誰かとわかり合いたい・共有したいと思ったので、うんうん言いながらなんとか言葉にしてみました。
どこかの誰かに伝わったら嬉しいです。




2019年5月27日月曜日

ワオ!

なにこれ、凄いな。久しぶりに興奮して眠れない…。何度も観ちゃうな。
音楽も、歌詞も、映像も、全部凄い。



2019年4月15日月曜日

春になりました


ピントスコープに文章がUPされました。
今回は映画『男はつらいよ』について。ひょんなことから四十九作すべて観ることになり、寝ても覚めても「寅さん」のテーマソングが頭の中で流れる日々を送っていました。
第六回「季節外れの腹巻き
第七回「トラ(寅)ベラ・ノー・リターン 旅人帰らず」

+

昨日は、去年の夏にやったお芝居「午後の光」のメンバーで久しぶりに集まった。それぞれの知識を持ち寄り、いろんなワークショップをした。
フルーツと即興してみたり(たとえば「バナナ」とか「レモン」とか名前がついているけれど、その名前をなくしてみて、まるで自分が初めて「それ」を目にするかのように果物を感じる)、他人の喋り方や仕草を模写したり(太田省吾さんのインタビュー動画を見ながら、仕草や表情、喋り方を真似する)、詩の朗読をしたり。たくさん笑った。



この間、「午後の光」で音楽を担当してくれたてんこまつりさんに「音」の話を聞きにいきました。彼女の曲の、静かに寄り添っている何か小さな影のようなものの感じが好きです。曲の印象と変わらぬ容姿でかわいらしく、いつでも音への敬意が溢れています。
ピアノの音を鳴らしながらいろいろな話をしたのだけど、一人で聞くにはもったいないような気がしたので、話の一部を公開します。興味のある方は聴いてみてください(目次の数字は話している内容の時間の目安です)。

音の目次

1 いろんな音を鳴らしてみる 
5 音の日記 
6 音を鳴すと世界が始まる
9 森、海、そして夜の音
14 都会、いとなみの音
18 感情を音で表してみる
31 深海を泳ぐクジラのような
33 てんこリズム
43 鏡としてのピアノ
45 鳴っちゃったものに共鳴していく
49 音をよく見る
54 『絶対音感』の前書きを読む
58 いちばん遠くから聞こえる音を聴く




2018年12月12日水曜日

冬になった


『夕陽のあと』という映画の撮影で九州の離島へ行ってきた。
撮影の合間を見つけて毎日よく歩いた。


漁師町なので猫が多い。至るところで出会う。そして人懐っこい。昔から、漁師たちは採った魚をさばいてまだトクトク動いている心臓を猫にあげたという。


海の色が場所によって違う。きっと季節によっても違うんだろうな。
「とわ号」。
 

素晴らしい出会いがたくさんあって、思い返しては胸が温かくなる。
また会いに行く日まで。



ピントスコープでの連載「やっほー!シネマ」が更新されました。第5回目のテーマは「女友達」です。久々に会った幼馴染の友人と地元を散歩したときに、彼女とここ最近一番印象深かった映画について話したときのことなどをつらつらと。
今回書いていて、「自由」であることと「孤独」であることは表裏一体なんだなあ……としみじみ思った。今の自分のいる場所から見えること、感じたことを書いてみました。

2018年10月7日日曜日

秋になった


映画のコラムサイト「PINT SCOPE」での連載が、今回で4回目になった。締め切りのある人生は早く過ぎると言ったのは誰だったかな、確かに気づけばもう10月。
毎回、担当をしてくれるMさんとテーマを一緒に考えながら書かせてもらっている。いつも自分がぼんやり感じていることや日々のあれこれを文字にして誰かに伝えるのは難しくもあり、楽しい作業です。

1回目のテーマは「はたらく」だった。
もともと「働く」には「傍を楽にする」という意味があるということをMさんから教えてもらう。うーん、深い。

2回目のテーマは「出会い」
私の出会った唯一無二の“場所”についての思い出に加えて、ドキュメンタリー映画「築地ワンダーランド」のことを書いた。ここに出て来る人達の背中をずっと見ていたいと思ったので、最近のニュースは胸をえぐられた。この類のない歴史ある場所を無形文化財にしてほしかった。


3回目のテーマは「恋」だった。
恋は盲目…ということで、汗をかきかき人生初のラブレターを書きました。

そして4回目の今回は、秋なので「読書」。 子どものころのことを思い出しながら。



最近、時間を忘れて読んだのはこんな本たちだった。面白い本と出会うと、世界の見方がどんどん変わっていく。

●『舞台の水』太田省吾著
去年出会ったこの本を、今後繰り返し読むことになると思う。

●『〈在る〉ことの不思議』古東哲明著
朝起きて手足をぶらぶらしながら、「なんで私の意識はこの身体の中から世界を見ているんだろう」と不思議に思ったり、都会の交差点でふと月を見上げ、100年後のことを思ったりするとき、そういう言葉にならない想いや感覚が、言葉になっていることに静かに興奮した。

●それと、これは読書ではないけれど、最近「ラジオ版学問ノススメ」という番組を、部屋の片付けをしたり長距離バスに乗っているときに聞くのが好き。みんなそれぞれ声がいい。どうしたらこんな魅力的な声になるのかなーと思いながら耳を傾けている。
長田弘さんのお話(イエス/ノー、0/100かじゃなくて、1から99の間のアイマイな領域っていうなかにある力が大切なんじゃないか)、池澤夏樹さんのお話(古事記の現代語訳の朗読は面白くて笑った)、養老孟司さんのお話(世界は自分の外にある。自分は他人との関わりの中で存在している)、面白かったなあ。


2018年7月27日金曜日

今夏のお知らせ


いつも “音” が連れていってくれる。
まずはじめに「あ、いいな」と思う音があって、
そのうしろをついていきたくなって、
盲目のまま手をひかれていくと、
「ああ、こんな風景を見てみたかったんだ」と思える場所に立っている。

映画「菊とギロチン」で役を演じるときに毎日聴いた “音” があった。
わたしはこの桜川百合子さんの声に誘われて踊りながら台本を読んだ。
調べると、もう亡くなっているというのでとても残念だったけれど、声の中にある魂は聴く人がいるかぎり受け継がれていくんだなあと思った。



映画「菊とギロチン」、テアトル新宿で始まっています。
お誘い合わせのうえ、ぜひ映画館に足を運んでみて下さい。いろんな魂がこもった作品です。🍉

2018年6月30日土曜日

最近のことなど


吉祥寺美術館で、江上茂雄さんという画家の絵を見た。
「風景日記」という展示のタイトルの通り、正月と台風を除く毎日、自宅から歩いて外に出かけ、一日一枚の絵を仕上げたという。何枚も「同じ風景」が出て来るけれど、一つとして同じ印象のものがない。
江上さんのメモより。
「一喜一憂せず、一生懸命やろうと決めてから、だいたい風景を描きました。風景だけが優しかった。自然は誰にでも同じ姿を見せてくれる」
「絵の修行の上で、非常に良かったことというのは、一定の時間、ひとつのことに集中するという、もう絶対そこから外れない、それの練習になったと思います」
こんな人がいたんだ。




「午後の光」の稽古が始まっている。
太田省吾さんの台詞は一見シンプルなのだけど、その奥に何重もの地層が重なっていて、やるたびに化石の欠片が発見されていく。「同じ言葉」なのに何でだろうと不思議。
この作品を毎年お盆の時期にできたらいいな、とちょっと思っている。だんだん年をとっていけば、見える風景も変わってくるだろうし、おのずと作品も変わった印象として立ち上がるだろう。今年の夏は、とにかくいまの自分たちが出来ることを精一杯やりたい。





もうPHSは製造もやめるし利用もできなくなりますという葉書が届いた。えー。このシンプルな電話だけができる電話、せっかく愛着が湧いていたのになあ。というわけで再びスマートフォンになった。やはり便利ですごいねと思う。と同時に「そんなにいろいろ気を使ってもらわなくていいんだけど」と肩をポンと叩きたくなる時もある。うまく付き合っていきたい。



2018年6月13日水曜日

私にとっての「楽しくもあり」


朝、公園を散歩しながら、引き続き「楽しくもあり、楽しくもなし」という言葉について考えていた。
私が「楽しくもなし」と思うときは、こんなふうに自分は世界を見たくないという価値観を無理やり押しつけられるとき。それはとても狭い見方で、一面的で、人や物事を枠にはめないと気がすまない。本当にそうか? もっと世界は豊かなはずだし、もっと多面的で面白いはずではないか? と思う。

じゃあ自分にとっての「楽しくもあり」はどんなことなんだろうと思う。自分の物の見方を変えてくれるものが好きだ。
昔からためている「こういうことがしたいフォルダ」をのぞいてみたら、そのほとんどがダンスだったのは興味深い。


たとえば①
会議は踊る? こんな国会中継があったら喜んで見たい。


たとえば②
こんなふうに「言葉」をしゃべることも出来るのだね。誰かと喧嘩したいとき、これからこんなふうにしてみよう。相手を傷つけることもない。


やっぱり踊ると気持ちがいい。見るのも好きだし。小さい頃からそうだった。
こういうことがやってみたい。

たとえば③
手話のような踊り。踊りのような手話。素敵で繰り返し観てしまう。



こういうもので世界が溢れますように。

2018年6月5日火曜日

午後の光レッスン


「通り過ぎるのを待つの。通り過ごしてしまえば、なあんだってことになるわ」
きのう、銭湯に入りながらそうつぶやいた。
これは『午後の光』で妻が長年連れ添った夫に言う台詞だ。はじめは謎の台詞が多い戯曲だと思っていたけれど、日常のふとした瞬間に、その中の台詞たちが100パーセントの実感をともなって私の中にひゅうんと落っこちてくる。そうかそうか、こういう気持ちのときこんな台詞が出てくるんだ。
太田省吾さんが『舞台の水』の前書きでこんなようなことを言っていた。
真実の「真」は取捨選択の世界。よりよきもの、高尚なものに向かって削ぎ落としていく。一方、真実の「実」はオールOKの世界。くだらんものも、退屈なものも、なんでもかんでもある。ただそこに居るのだと。
そうかそうか、そうなのか。じゃあ「真」も「実」も、おいでおいでと同じ力で私をひっぱるとしたらどうしたらいいんだろうか。そこまで考えていたら、冒頭の台詞がこぼれ出して来た。

「楽しくもあり楽しくもなし」というこのブログのタイトルは、大学時代につけた。最初はなんだかどっちつかずで適当なタイトルだな思ったけれど、名は体を表すとはいったもので、だんだんこれが自分の人生のテーマなんじゃないかと思えてくるから不思議。「楽しくもあり」の方は放っておいても楽しめる。問題は「楽しくもなし」の方だ。どうしたら感謝と喜びを持って、「楽しくもなし」を受け止められるのだろうと。

今年のはじめ頃、私が太田省吾さんの世界に出会ってひかれたのは、その辺の答えが彼の戯曲には眠っているような気がしたからだ。予感を実現できるだろうか。まだわからない。でもコツコツと掘っていけば、いままで見れなかった風景が目の前に姿を現すと信じている。

そんなわけで、世界の見方のひとつの「レッスン」として稽古場日誌を書き始めた。夏の公演に向けて、少しずつ綴っていこうと思う。
  ↓




近所の更地になった家。
しばらく見ないでいたら、大きな花壇みたいになっていた。


2018年4月6日金曜日

DON'T SEARCH! FEEL!


「PINTSCOPE(ピントスコープ)」という新しいWebサイトに、映画コラムの隔月連載を頼まれた。私は文章のプロでもないし、映画に特別深い造詣があるわけでもない。感想を聞かれても、大抵は「あの、えーと……、面白かったです」とモゴモゴ口ごもるばかりなのに大丈夫かな。
でも、話を聞いてみると、そういうことは求められていなかった。
今は何でも「検索」できるし、あらかじめ「星(☆)」の数を確かめてから行動を起こすということも多い。これは映画だけじゃなくて、初めて行くお店や、デートスポットなんかもそうかもしれない。でも誰かの評価よりも、自分はどう感じるのかを大切にしてほしい。だから山田さんには、日常のなかで偶然出会ったものや感じたことを映画にからめて自由に書いてほしいのです。
ということだった。そうですか。それなら初めてのことだけど挑戦してみようかしら、と気を立て直していると、「あと、四コマ漫画はマストでお願いします」と言われた。……私の落書きが連載されるのかと思うと頭が痛くなるので、そこはもう考えないことにした。

というわけで、自分の窓から見えるもの、感じたことを綴っていきたいと思います。とりあえず合い言葉は「DON'T SEARCH! FEEL!」ということにした。「山田真歩のやっほー!シネマ」。はじまりはじまりです。

「Don't think! Feel!」

2018年3月24日土曜日

「午後の光」を書き写した日


今朝、布団のなかで太田省吾さんの戯曲「午後の光」を書き写した。「おもしろいわ。……ね、発見ね」と妻の台詞をつぶやいてみる。発見の物語でもあるんだな、太田さんの戯曲は。世界の見方の提示といってもいいか。劇的なものをどこかに探しにいく冒険家のような夫と、日常のささやかなもの、なんでもないものを貝殻を集めるみたいに拾っていこうとする妻。戯曲の中で二人は、イーゼルの上に置いた窓枠から世界をクローズアップして見ることを通して、世界が変わっていく。
「見方を変えるだけで、こんなふうにあなたの周りの世界を見ることも出来るんですよ」と言われているようにも思える。同じ「飲む」という行為でも、「七つの海を飲み干す」と信じて飲むと、それは劇的になるし、祈りにさえなる。同じ「歩く」のでも、ここからここまで歩くのに200年と考えると、その歩く身体はイメージに溢れ、観る人をとらえて離さなくなる。こんなふうに見てみたら、いままで退屈でかわり映えのしないと思っていたことは、奇跡のように思えてくる。

私はこの人の劇をやってみたい。
高い山すぎて足はすくむけれど、一歩ずつ登りはじめたいと思う。まず、最初の一歩は楽天的に出すことにしよう。イメージ集めをするところから。一緒にやってくれる仲間に声をかけるところから。

戯曲を写し終えて思ったことメモ(↓)
私たちがやろうとすることは、「なんでもないこと」。誰もが気にもとめないし、ましてや誰もとても劇にしようなんて思わないようなささやかなこと。そんなすくってもすくったんだか分からないような、木漏れ日のようなあれこれ。そこには生々しい実感がなければ成立しない。俳優の態度としては、おもしろく見せようとか、退屈させないように、という意識よりも、目の前の「いま、ここ、これ」をどこまで自分にとって鮮やかで切実なものにできるか。まずは全体を通して考えるよりも、一つひとつのシーン、もっと言えば一瞬一瞬のエピソードを実感をもって行うことから始めよう。その集合体が「午後の光」となればいい。



2018年2月26日月曜日

鳥たちのこと


1. 

去年の暮れ、ある方から新聞の切り抜きをいただいた。
難しいけれどいい文章だなと思ってノートにはりつけ、しばらく眺めて暮らした。



2.

この間、病気で臥せって、死んでいく女の人の役を演じた。
そのときに、ふと思い出してまた読んだら、するする溶けるように身体の中でわかった気がした。
鳥は空を信じているから飛べるんだなあ。



3.

撮影が終わって3日くらいぼんやり過ごしていたら、突然目が真っ赤になってみるみる腫れ上がった。寝れば治るかと思って、朝起きると目が開かない。目やにがびっしりと両目にくっついていて「いま開けんといて」と言わんばかりに工事中になっていた。手探りで洗面台までいき、ぬるま湯で硬い岩みたいになった両目をゆっくり溶かしたらだんだん世界が見えて来た。小岩さんのような目を隠すために、初めてサングラスを買った。

人に会いに行く予定もキャンセルして、川原の土手に座っていた。ゆっくり飛び立つ白鷺を眺めながら、「まるで恐竜だなあ」と思った。
一羽の鳩が飛んできて私の近くに止まった。一歩ずつ、一歩ずつ、にじりよってくる。ずいぶん距離を縮めてくるので見ると、その鳩、足の指が1本しかなかった。「わたしたちケガしている同士、おんなじね」と言わんばかり、シンパシーが合ったのかもしれない。しばらく私たちは広い土手で日向ぼっこをした。




2018年1月12日金曜日

明けましておめでとうございます


1. 再結成

昨日は映画「ピンカートンに会いに行く」の完成試写の舞台挨拶で、アイドルの格好をしてみんなで踊った。35歳になった元・アイドルたちが、「今さらイタい」とか「年齢ヤバい」とか「子育てタイヘン」とか、あーだこーだ言いながらも再結成に向かおうとする話。でもさ、言い訳しているうちに終わっちゃうよ! と私個人は思います。はい、何事もやってみなくちゃわからない。



2. もしもし

去年からスマートフォンをやめて、中古で買ったPHSを持ち歩いている。見た目がかわいいから買ったのだけど、驚いた。電話しかできないの。吉幾三じゃないけど、「カメラもねえ、メールもねえ、インターネットはみたことねえ」の世界です。最初はびっくりしたけど、もうなれてしまった。誰かに用があれば「もしもし」と電話をかけるし、誰かが私に用があれば「もしもし」と電話をかけてくる。なんというか、とてもシンプルだ。Googleマップなんてものもないから、毎朝今日行くところの地図を書いたメモをポケットに入れて出かける。迷うことも増えたけど、人に道を聞くことも増えた。
前からそうだったのか、最近とくにそうなのかわからないけれど、「ふと」何かと出会うことが増えた気がする。「いま何してる?」っていつも繋がっていない分、会えた時嬉しい。前もって検索しない分、偶然良いものに出会えるとすごく得した気分になる。


3. ほくほく

この間、友人が送ってきてくれた詩集を声に出して読んでみたら、とてもよかった。電話でお礼を言うと、「よかった。実はまだ読んでないんだけど、表紙の写真がいいなと思って送ったんだよね」とのこと。本にもジャケ買いというのがあるのか。友人も「ふと」いいなと思って、よく中身を調べもせずに送ってくれたのだろう。こういうことがあると、ほくほくした気持ちになる。



『ゼロになるからだ』覚 和歌子
注:ときどき誤字脱字あります。

2017年11月30日木曜日

トン、トン、トン


1. 三匹の蛸

ノックの音がするのでドアを開けると、そこには太田省吾さんとアルヴォ・ペルトさんとジョナス・メカスさんが立っていた。この戯曲家、音楽家、詩人は、みんなそれぞれ別の場所から同時にやって来た。そしてドアを開けるなり、わたしに蛸のように吸いついた。わー。
二週間前、太田省吾さんの『舞台の水』を握りしめながら新宿をあてもなく歩いていた。誰かと話がしたかった。
一週間前、ジョナス・メカスさんの『森の中で』を声に出して読んだ。一語一語の言葉のあとを何も考えずについて行くと、知らない場所にいた。



2. よく見る

きのうの夜、一人で「水の駅」を見ていた。
老婆が人差し指に水をつけ、ゆっくりと口に近づけ、舌を出して吸いついたときに、わたしはポンと膝を打った。
「いま、ここ、これ」という瞬間。面白くも、意味もないかもしれぬが、触れる価値のあるもの。それらを、引きのばそうとする努力。「ほら、この瞬間だよ。もっと味わって」とでもいうような。そんなふうに思えてきた。美しい蝶をピンでとめてガラスケースに入れる人がいるけれど、その行為に似ていると思った。
始まってすぐは寝ちゃうかもと思ったけれど、最後まで見飽きなかった。というか、なんて官能的なんだろうか……。水の音が官能的になったり、切なくなったり、苛立ったり、慈悲深くなったり聞こえてくるから不思議。水は変わらないけど、水を受け止める人はそれぞれ変わる。水の音がやむ瞬間、なぜだかすごくホッとした。


3. よく聞く

セルジュ・チェルビダッケさんの指揮。
あのね、もっと耳を澄ませてくださいよ。隣りの音に。あのさ、そんなに急いだら味わえないだろう。もっと、いまここで響いているものに佇ずんでください。ほら、違う世界の楽しみ方が見えてきたでしょう。
そんなふうな声が聞こえる。



ここ最近であったものをまとめておこうと。ひとまず。

2017年11月11日土曜日

なんでもない日々


1.「午後の光」

夕方、部屋のあかりをつけないまま、本を読んでいた。
太陽が西に沈むにつれて部屋の明るさも移動していくので、私もそれにあわせて窓の方へちょっとずつ移動しながら読書をつづけた。とうとう日が沈み、部屋は暗くなったので本をぱたんと閉じた。「日が沈むまで読書をする」ってシンプルでいいなと思った。


2.文字を写す

暇なときに文字を書き写すというくせ(趣味かな)がある。きっかけは、たぶん夏目漱石の『虞美人草』だった。何度読み進めても5ページ目くらいで内容がチンプンカンプンになってしまうので、一文字ずつ書き写してみようと思ったのだ。読み通すのに3ヶ月くらいかかったけれど、今度は面白く最後まで読めた。
最近は「良寛字典」を写している。良寛さんの書いた字がひらがなから漢字までいろいろ載っている。肩の力が抜けていて軽やかで、書いているとなんだかウキウキしてくる。こんな字のようになりたい。



3.落ち葉をひろう

このあいだ、新宿にお芝居を観に行って、そのあと新宿御苑を散歩した。
昔からこの季節が好きだ。ふかふかの落ち葉の上を歩いていると無条件にテンションが上がる。色とりどりの一面の落ち葉。とてもいい舞台。このような空間を舞台にできないものだろうか。
みんなきれいきれいと言って写真をとったり、自分の好きな色と形の落ち葉をひろって帰っていた。明日には茶色くなってしまうだろうけど。



2017年9月30日土曜日

35/36


きのうは誕生日で私は36歳になった。

今朝、近所の川原で太極拳と日本舞踊を踊った。「万歳」を踊っている途中で山の向こうから太陽が昇ってきて、すごくきれいだった。赤と青の入りまじる雲のあいだを何羽かの鳥が飛んでいって、この世じゃないみたいだった。
歳をとると自分はどんどんしわくちゃになっていくけど、自分の周りの世界の美しさとか面白さにどんどん気がつくようになるのかなあ、と思った。そうなったらいいな。


作家・向田邦子さんの役をいただいて、一昨日、無事撮影が終わった。
「トットちゃん」というドラマの中で、黒柳徹子さんが大人になってから出会う方たちの中のひとりとして出てくる。向田邦子さんが35歳のとき、東京オリンピック開幕式の日に意を決してひとり暮らしを始めたころのこと。
6年前に邦子さんの妹の和子さんを演じさせていただいたので、これで向田家の姉妹両方を演じたことになる。なんだか嬉しい。いつも役が私を叱咤激励してくれたり、「あなた、こっちよ」と手を引っぱってくれる気がしている。今回は邦子さんがいつも側にいて、困った時には耳元でこっそりアドバイスをくれたりした。「美しくなくてもいい。最後まであきらめず、勇猛果敢に生きてやろう」という言葉に何度も勇気づけられた。
ありがとうございました。これからもがんばります。


2017年8月25日金曜日

札幌での音楽劇の試みが終わった


行く前に思っていたことは、こんなこと。
「それぞれが楽器や音の出るものを持ち寄って、いろんな動物の鳴き声や木のざわめきを音で奏でてみる。いろんな動物になってみる。最後には、奇想天外な音たちを合わせて一つの “森” をつくってみたい。その森に一羽の鳥がやってきて、しゃべりだす。そんな音楽劇がつくれたらいいな」
さて、結果はいかに……。



初日(曇り)
演技するのは初めてという参加者を前に、「何から始めよう?」と頭が一瞬真っ白になる(講師をするのは私も初めて)。いつも頭の中でひとりで無意識にやっていることを、“言葉”にして伝えなくちゃいけない。
●「まず、体を動かしましょっか」と、一緒に太極拳をやった。
●部屋をぐるぐる歩く。いろんな人の歩き方をマネする。いろんな物質(油とか風とか粘土とか)になって歩いたらどうなるか。いろんな動物の歩き方はどうか。
●そのあと、楽器と会話するという即興劇をやった。楽器で告白する。楽器で喧嘩する。
●一日の最後に、みんなでテキストを読みながらいきなり粗通し。
「四つん這いになったのが楽しかった。こんなに笑ったのは本当に久しぶり」と、さやさん。嬉しい。

二日目(雨)
雨なので参加者が減るかと思ったら増えていた。
●この日は、それぞれの個人的なエピソードを語ってもらった(最近11年付き合った彼女と別れた話、バンドが解散の危機だという話など)。それを聞いていた他の人たちでその話のつづきを即興劇にした。これはみんな大いに盛り上がった。
●昨日読んだテキストに、今日のみんなのエピソードを織り交ぜて、また粗通し。
「一日目が楽しかったから今日も来た」と、台湾料理「ごとう」のごとうさん。良かった。

三日目(曇り)
●今日は発表会。札幌資料館という昔は裁判所だった場所が会場。
「自分のもっている一番派手なシャツを着て来てください」と昨日言ったら、みんな集まったら南国の鳥みたいになった。
●本番はもう無我夢中だったので、完成度についてはよくわからない…。ほとんどやりながらの即興だったし、かなりデコボコしていたと思う。ただ、参加してくれた人たちが終わったあと、みんなニコニコして遅くまで残っておしゃべりしていった。
「忘れたくない三日間になりました」と、吹奏楽を20年やっているというおさむさんが言ってくれて嬉しかった。

今回、声をかけてくれたテニスコーツのお二人(毎朝、楽しかったです)、現地でお世話になったスタッフの方、参加してくれた方に感謝。終わったあと、しばらく空っぽの部屋みたいになりました。



2017年8月7日月曜日

夏の自由研究「鳥になる」


お元気ですか。毎日あついですね。
わたしはこの夏、鳥のことで頭がいっぱいです。
BBCが制作した「THE LIFE OF BIRDS 鳥の世界」シリーズが面白くて、繰り返し観ています。(渋谷ツタヤで鳥のドキュメンタリーがなかなか借りれないなーと思っている方がいたら、すみません。借りしめているのはわたしです。)中でも驚いたのは、鳥も「飛ぶ練習」が必要なのだということ。鳥だからすぐ飛べるものだと思っていたけれど、そうじゃなかった。日夜 “羽の筋トレ”をして丈夫にしたり、野原を助走つけて走ってみたり、ヒナたちはみんな必死の形相。「やっぱり自然が一番だよね」とか「動物はいいなあ」なんて軽々しく言えない雰囲気がありました。
わたしはそこに登場するいろんな鳥の鳴き声やしぐさ、求愛行動なんかをマネしながら観ています。一昨日は小学一年生のめいっこと卵から孵化するヒナのマネをしました(彼女は臨場感があって、とても上手だった)。そんなわけですっかり鳥に詳しくなりつつある今日この頃です。


札幌国際芸術祭に参加するテニスコーツのお二人に誘われて、一緒に短い音楽劇をつくることになりました。
「ある森に渡り鳥がやって来て、相手と出会い、卵を産んで帰っていく。」この短いお話を、参加者の人たちと音楽劇にする試み。どんな “森” ができるかは、どんな人たちがそこに集まるかで変わるんだろうな。いやあ、どうなるか、どうなるか。やってみなくちゃわからない。

てなわけで、今週末、札幌へ行きます。


2017年7月14日金曜日

コンプレックスについて考えた日


自分が「よくない・隠そう」と思っていることが、他人にとっては「どうでもいいこと・そここそ魅力」みたいなことがよくある。
たとえば、私は声がコンプレックスだった。子供のころからなぜか少しかすれていてハスキーで、まあ良く言えばジャズシンガーみたいだった。でも、小学生にとってそんな声はありがたくも何ともない。少女漫画のヒロインみたいな声がいいわけだ。休み時間男子に追いかけられる女の子たちの「キャー」という甲高い声に憧れて、家でひとり「キャー」と言う練習をしたりした。

その頃は、コンプレックスはいつか魅力に転じるかもしれないなんて思いもしなかった。でも何年も自分の声と付き合っていくうちに、「まあいいや」という諦めから「興味深い」という希望にまでなってきた。なにしろ、いま一番やってみたいのは声の表現なのだから。
そう、ちょっとしたことで価値観はひっくり返る。だから、少しくらい人と違うところがあっても、気にせず堂々とやったほうがいい。隠そうと隠そうと思っていることほど、逆にあけっぴろげてみると案外世界が開けるかもしれないのだから。(まあ、気にしている間にこういう境地になれれば苦労しないけどね!)


いま、面白い本を読んでいる。
著者は、イッセー尾形さんの一人芝居の演出をずっとされてきた森田雄三さん。ページをめくるたびに、笑いと一緒に何かが音を立てて崩れていく感じがする。最後の方でこんなことが書いてあった。
余談になるが、わが事務所「株式会社イッセー尾形・ら」には、「四国の四県の名前を言いなさい」という入社試験もどきがある。もちろん、香川、徳島、愛媛、高知で正解だが、正解者は不採用となる。理由は「他所でも働けるから」といった冗談程度のものだ。(『間の取れる人 間抜けな人』)
さっそく関西に住む友人に電話してみた。
「もしもし。突然だけどさ、四国の四県のなまえ全部いえる?」(ちなみに私は香川県しか言えなかったけど、それについては伏せた。)
「香川、徳島、愛媛……分からない」と恥ずかしそうに笑う声がした。はっはっは。
私も友人もめでたく採用であった。




2017年7月1日土曜日

カエルの夢


今朝はカエルになった夢を見た。
布団からでてすぐに描いた絵。なかなか写実的に描けた。


頭の上が飛行場の通り道になってるみたいで、最近、今までにない大きい音で目がさめる。

小学生の時、もし魔法が使えるとしたらどうする?って聞かれたとき、「世界を平和にする」と真剣に答えていた。今だったら、とりあえず世界中の軍用機に積んであるミサイルを残らず不燃ゴミで捨てて、代わりにいろんな木や花や果物や野菜の種を練り込んだ土団子を積んで、空からばらまくってことをやってみたい。


2017年4月17日月曜日

本は最後から読んではいけない

さっき、村上春樹の新刊を半分読み終えて「よし、下巻に移ろう」と思ったら、間違えて下巻から読んでいたことに気づいて愕然とした。
表紙も何だか似ていてよく分からなかったし、目次だってどこから読んでも差し支えなさそうだった(すみません言い訳です)。それにしても今回は何の説明もなく新しい登場人物が次から次へと出てきておかしいなあとは思っていたけど、新しい小説スタイルなのかもしれないと思って読み進めたのだ…。

こういう失敗は小学校三年生の時にも一度あった。
その頃、サンタクロースにもらった『赤毛のアン』を夜ベッドの中で読むのが楽しみで仕方なく、登場人物たちの先のことが知りたくて知りたくて、我慢できずに最後のページを少しだけ読んでしまったのだ。ちょうどめくったそのページで、アンの育ての親のマシューが死んでいた。「マシューが死んでる!」と私は愕然とし、しばらく本を閉じた。登場人物の行く末を知ってしまった私は、その後「この人、死ぬんだよな」と涙なしには読めなくなってしまった。
「本は最後から読んではいけない」。これは小学校三年生の時に身につけた私の小さな哲学だった。

私がもやもやした気持ちを抱えながら『騎士団長殺し』下巻を手に眺めていると、「逆さから読めばおおかたの物事はトンチンカンに見える」とその分厚い本がつぶやいた。
「知ってしまったことを知らないことにはできないし、記憶喪失にでもかからない限り、上巻を楽しめないかもしれないです」と不安げに私が言うと、しばしの沈黙ののち「イルカにはそれができる」と分厚い本がさらりと言った。
うーん、イルカになったつもりで読んでみるか。




2017年3月25日土曜日

ぐちゃぐちゃの雲の中

今日の夜6時から西日暮里の古書ほうろうさんでトークします。
「楽隊のうさぎ」「島々清しゃ」でご一緒した音楽監督の磯田健一郎さんと、お互いのこれまでの職歴のこと、個人的読書体験や映画のことなどを話す予定です。お時間あればぜひお越し下さい。
(追記:司会を務めて下さった編集室屋上の林さんが、この日のトーク内容をまとめてくださいました。→前編と後編あります。)


いま、これまでのことを振り返ろうと昔のノートやメモをみているところなのだけど、思わず笑ってしまったり、あー、このころ大変だったなあとしみじみしたり、なんだか引越の前の荷物整理のような状態になっている。

たとえば、4年前のノートにはこんなことが書いてあった。そのころ駒場東大のすぐ脇に住んでいて、そこに通う科学者の圭太君とひょんなことから仲良くなった。彼はいまアムステルダムで自分の研究に邁進している。

7月27日 
昨日圭太くんと遅くまで飲んだ。彼が言っていたこと。 
・Uri Alon という生物学者は、どうしたらみんながもっとリラックスして、喜びにあふれながら自分の研究をし、人々の役に立てられるかを考えている。彼はパイオニアで、人々が彼に続いて行く。とても視野が広い。
・Uri さんは即興劇の勉強もしていて、いつも「Yes and」のことを言う。目的へ行くのは雲の中に入ること。そしてこのぐちゃぐちゃの “cloud” を楽しむこと。行き詰まりを楽しむ。どこに行くのか、どんな方向に連れて行かれるのかを不安に思うのでなく、わくわくしてみること。今やっている「くだらないと思えること」も “cloud” の一つ。 (Uriさんの講演を見つけた。面白い。→「真の革新的科学のために、未知の領域へ飛び込むことが不可欠な理由 ) 
それから彼は、「ストイックになると駄目だよね」とも言っていた。

振り返るとぐちゃぐちゃの雲の中でしかなく、それらの一つひとつを楽しんできたかと言えば、よくわからない。もう少し軽やかに即興に身を任せられるようになりたい。



2017年2月15日水曜日

雛祭りに向けて


来月、北鎌倉にある喫茶ミンカで朗読をすることになりました。
ここのオーナーである美香さんにお会いした時、川上弘美さんの短編のコピーを渡され、「真歩さんのイメージにぴったりだと思うの。ここで朗読をしませんか?」とお誘いを受けました。それから四ヶ月が経って、演出を宇田さんが引き受けてくださり、美香さん、桜井さん、私の三人で朗読劇が実現することになりました。
ただ今、雛祭りの本番に向けて稽古中です。楽しんでもらえるようがんばりますので、どうぞ春もうすぐの北鎌倉に足をお運びください。



数はわずかですが、チラシも作りましたよ。どこかで見つけたときは、どうぞ手に取ってみてください。

2017.3.2(THU) 3(FRI)  3:30P.M./ 7:00P.M. 開演30分前に開場
会場 喫茶ミンカ(鎌倉市山ノ内 377-2 JR北鎌倉駅より徒歩 3 分)
料金 2,000円(ワンドリンク付)
※ 席に限りがございますので、お早めにご予約ください。 
ご予約・お問い合わせ
電話 0467-50-0221 
http://www.mawari.jp/calendar/